見出し画像

All work and no play makes Jack a dull boy.

細野さんの記事に関連して、同世代の大学生の子を持つ親としてちょっとコメントしたくなった。

まず昔ばなしから。細野さんが学んだ頃の京都はモラトリアムを謳歌するのが大学生活である、という気風があったことは事実として認めたい。自分もそこにリコーダー同好会があったから受験勉強を頑張ったクチだ(笑)。ゲバ棒持った過激派が門番をする一部学舎、新歓時期になるとオルグで休講となる授業(補講殆どなし)、名物教授の楽勝単位があるかと思えば…書き出すときりがないのでやめておこう。学費も安かったし個人向け家庭教師の時給が高かったので、意図的に留年し学生の特権を謳歌しながら完全自活している人も多くいた。学生に対して社会がもっと寛容で、自由だった時代の残り香の中で、僕たちは大きくなった。

今の大学生生活はどうであろう?シラバスに縛られ、年間コマ数・出席を厳しく管理される授業。学費は当時の倍以上になり、パソコンや携帯等の必須経費も痛い。学生バイトの時給が下がり、これらを賄いながら自活する等夢のまた夢、しかも仕送りの金額は下がるばかり。こういう環境下ではあるけれど、学生は授業と課題をこなすだけで結構な分量の勉強をこなしているのだと感じる。大学の先生たちも大変そうだ。

うちにもこの春大学1年生になった子供がいる。苦しい受験生活を何とか頑張ってこれたのは、もちろん目指していた専門の勉強をやりたいという思いもあったにせよ、大学に入ったら課外活動を楽しみたい、という気持ちもあったと思う。夏までキャンパスが閉鎖になり、彼は同じクラスの人と一度も会ったことがないと一時期こぼしていた。サークルを物色し加入するという夢が絶たれたままなのは、課外活動が目的で大学に入った不肖の親として誠に同情を禁じ得ない。ただ、先生方の多大なる尽力のおかげでオンライン授業は始まり、新歓はZoomを通じて行われ、一応課題と学習に追われる日々を過ごしている。与えられた環境下でベストを尽くそうとしているのは、称賛してあげてもいいのかな、と自省する。

まあでもねぇ、オトナになって感じるのは、仕事ばっかりやってたら長い目で見ると身体を壊しちゃうってことなんですよね。オンとオフのバランスをうまく取りながら生活していくのが大事で、新型コロナによる行動制限はそのバランスを取るために必要な余裕や「あそび」を奪っているところが問題なんじゃないかな、と思う。余裕や「あそび」、あるいは緩急というものは、設計段階で意図して組み込まないとなかなかうまく機能しないものだろうと思うのだけど、それってどうやって考えて実現していけばいいのだろう?
日本は相互監視や締め上げが得意な社会だし、第一波の時はそれがうまく作用したけど、その時までに社会にあった余裕や「あそび」を第一波の間に食い尽くしてしまったように感じている。これからの過ごし方として、第一波同様に締め上げばかりやろうとすると、いつか不満が暴発することは避けられないのではないだろうか。それが最近、ちょっと心配。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?