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あなたは無意識に目の前の世界を作っているというお話。

それにしても最近急に暑くなってきて、室内にいても、窓を開けているとつんざくようなセミの声が聞こえてきますね。

あの声によって我々の暑さメーターが心なしか上昇しているような気もしますが、まぁ彼らの大合唱を聞けるのはこの時期くらいですし、正直あの気力には感心できるので良しとしましょう(何様)。


では、突然ですがここであなたに一つ問うてみたい。
セミの声は確かにかなりのボリュームですが、果たしてあなたは彼らが鳴き続けている間、ずっとそれを「聞いている」でしょうか?


耳をすませば、もちろん声は連続的に聞こえてきますよね。
ですが、例えば他の作業に没頭している時などは、もしかしたらあなたの意識にその声は「届いていない」のではないでしょうか。


集中してnoteを読んでいたり、ぼーっとしながらスマホの画面をスクロールしたりしている間も、セミの声やクーラーの音、時計が秒針を刻む音などは、あなたの周りでずっと鳴り続けています。

また電車内なら、足音や車輪の擦れる音、遠くで聞こえる話し声。
店内なら、誰かがドリンクを飲む音や、店員さんが接客する明るい声などが、常にその空間内に響いていますよね。


でも、それらの音は、実は意識しないと聞こえてこないんです。

ちゃんと耳には入っているはずなのに、意識をよそに傾けていると、それらはまるで聞こえない。

私の場合、本を読んでいる時などは電車のアナウンスも聞こえなくなります。
それはさすがに危ないのでたまに意識を戻すようにしていますが、人の外界認識って案外ずさんなものなんだな、と痛感させられてしまいます。


そうなんです、私は最近やっと気づいたんですが、恐らく私たちって、自分で思っているほど世界をそのままの姿として認識しているわけじゃないんですよね。

耳に入ってくる音を聞いていない時もあるし、目に映るものを見ていない時もある。

知覚なんてのは案外適当だし、自分の価値観によって簡単に歪められてしまったり、消されてしまったりするものなんですよね。


また知覚は、「先入観」や「偏見」の影響も強く受けていると思います。

たとえば、信号の色を考えてみてください。
これはよく言われることですが、信号の色は「赤・・黄」ではなく、「赤・・黄」ですよね。

じっと目を凝らしてみるとあの色は明らかに緑なんですが、なぜだかあれは一般的に「青信号」と呼ばれます。

ここでお聞きしたいんですが、もしかするとあなたは普段、改めて意識しない限り、あの色を本当に「青」だと思っているのではないでしょうか。

「信号機のあの色は青だ」という先入観によって、あの色を緑ではなく、純粋に青として知覚してはいませんか。


ちなみに、ぼんやりと信号待ちをしている時の私の目には、あの色は間違いなく青色に見えていますね。

緑に見えているものを青だと言い聞かせている、のではなくて、その時の私にはもう、あれは青にしか見えないんですよ。上手く説明できなくて恐縮ですが…


とにかく先入観習慣というのは本当に不思議なもので、色という単純明快(に思えるもの)さえも、実はそのままの姿で知覚されていないことが少なくないんですね。


きっと私たちの感覚器官は、この世界の諸事物を正しく映す鏡なんかではなく、自分の価値観や先入観などの無意識的なものによって、身の回りの情報をろ過していくフィルターなんだと思います。


私たちの知覚の曖昧さの例は、探せばきっと他にも色々あるはずです。

ある特定のものを意識すると、それに関する情報だけがどんどん目に入ってくるという「カラーバス効果」は、まさにそれかもしれません。

私は全然分かりませんが、こういうのは心理学の領域なんでしょうかね。


自分が知覚したことを、たまには「これって本当なんだろうか」と疑ってみるのも、面白いかもしれませんね。(*´-`)

なんとなく面白いな~と思ったので、漠然とした話ではありましたがシェアさせていただきました。


読んでくださり、ありがとうございました✨




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