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太宰治『兄たち』 太宰作品感想 4/31

10月中、太宰治の作品感想を日々、書き留めることにしたのだが、4回目の今日は、『兄たち』を選んだ。自分自身が兄弟と過ごしてきた日々と重ねつつ、今日も自由奔放に書かせて頂こう。

皆さんには、兄弟はいるだろうか。僕には二人の兄弟がいて、自分は三人男兄弟の末っ子である。太宰にも、三人の兄があった。

「父がなくなったときは、長兄は大学を出たばかりの二十五歳、次兄は二十三歳、三男は二十歳、私が十四歳でありました。」

『兄たち』は、この一文から始まる。僕の父はありがたいことに僕が成人しても尚、元気に暮らしている。しかし太宰は父が死んでも、長兄の存在があった為に別段、寂しい思いはしなかったそうだ。僕も、長男とは10歳以上離れている(と言っても文学好きの太宰の長兄とは違い、僕の長兄は院卒のバリバリの理系人間である。)。長兄を、かつて父と間違えられたこともある。そんな地元での日も、今では遠く懐かしい。

太宰家の次兄と三男のどちらと僕の次兄が似ているかと問われれば、太宰の次兄のような豪胆さはないため太宰の三男ということになるだろうが、太宰の三男は早死になので何だか怖い。早死にしそうなところだけ、似ているような気もする。

私が面白いと思ったのは、太宰が三男について書いた以下の記述だ。

兄は、ずいぶん嘘をつきました。銀座を歩きながら、
「あッ、菊池寛だ。」と小さく叫んで、ふとったおじいさんを指さします。とても、まじめな顔して、そういうのですから、私も、信じないわけには、いかなかったのです。銀座の不二屋でお茶を飲んでいたときにも、肘ひじで私をそっとつついて、佐々木茂索がいるぞ、そら、おまえのうしろのテエブルだ、と小声で言って教えてくれたことがありますけれど、ずっとあとになって、私が直接、菊池先生や佐々木さんにお目にかかり、兄が私に嘘ばかり教えていたことを知りました。

写真は少なく、動画など全然無い時代に「あそこに歩いているのは有名人の○○だ。」とそれっぽく言われれば、信じてしまいそうにもなるが、面白いのは後にその有名人と太宰が直接会えるようなところまで登り詰めた、ということだ(「直接お目にかかる」という表現からは、単なる講演会などへの出席ではなく、個人的な付き合いがあったことが推察できる)。太宰は今や、日本を代表する作家と言われるほどの大人物となった。

本作における三男の記述の多さから、その親密ぶりがうかがえる。信頼もあってか、三男のメモの破棄など、生前の身辺整理を弟の太宰に託している。太宰は、三男の兄について最後にこのように記した。

なんにも作品残さなかったけれど、それでも水際立って一流の芸術家だったお兄さん。世界で一ばんの美貌を持っていたくせに、ちっとも女に好かれなかったお兄さん。

浮かばれない人生がある。救われない魂もある。素質の無い芸術家だっているだろう。この世に生を受け、例えどのような人生を背負うことになるにしても、持つべきは兄弟ではないだろうか。今は、そうとしか思えない。


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