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新婚で海外生活はハードだけど必要なステップだ

結婚式を挙げてから早1年。一緒に暮らし始めてからは1年と3ヶ月が過ぎた。

そのうち4ヶ月は海外に飛び出して、ほぼ毎日ずっと一緒の暮らし。

新婚でこの生活を送るって、さぞ毎日ラブラブに幸せに過ごしていると思われそうだけど、けっこうハードなことも多かったりする。

オーストラリア旅行は運転して移動しながらキャンプや車中泊とハードな生活だったこともあって、平均すると4日に1回ぐらいは喧嘩していたような。

喧嘩をするためにわざわざ海外来たわけじゃないのに・・・って、何回思ったことだろう。

駐在ではなく、新婚で夫婦で会社を辞めて海外生活するという選択は、金銭的にも精神的にも負担がそれなりにある。

でも、私はこの選択をして良かったと思っている。

その理由は3つ。


無駄に忖度しなくなる


今の私たちは、2人とも無職という対等な立場。

去年静岡で暮らしていた時は、私はパートタイマ―として働いていたから、収入のウエイトは夫の方が高かった。必然的に夫の収入を使わせてもらうことになるから、依存しているという引け目を感じてしまっていた。

そうした潜在意識が根付いた結果、相手のことを考えすぎて無駄に忖度していた部分もあったと思う。

でも今は、2人とも同じ立場。どっちが偉いとかもないし、家事ももちろん公平にする。(なんなら料理は夫が指揮を執っている)


結婚後の多くのパターンは、旦那さんの転勤によって奥さんが会社を辞めて専業主婦となり、パートタイマーをしつつ、妊娠を機に家事に専念する形が多いと思う。

それを決して悪いとは言わないけど、パワーバランスが決まったまま家庭生活が始まると、言いたいことを言えなかったりしてひずみが生じてしまうこともあるかもしれない。


私の場合は、こうして一旦お互いまっさらな関係になれたことで、夫婦関係をリセットできて良かった。


相手の価値観を理解できる


結婚して感じるのは、家族とは言え結局は他人だということ。

似たような価値観で、似たような趣味を持って、嫌いなことが似ている。居心地の良い関係性で生涯のパートナーにはこの人しかいない!と思うけど、それでも相手の全ては分かり合えないと思う。


海外というイレギュラーな環境で、四六時中一緒にいる生活だとお互いの価値観がぶつかることが多い。


価値観(かちかん、英:sense of values)とは、何に価値があると認めるかに関する考え方。価値(善・悪、好ましいこと・好ましくないこと、といった価値)を判断するときの根底となるものの見方。ものごとを評価・判断するときに基準とする、何にどういう価値がある(何には価値がない)、という判断。(引用:Wikipedia)


小さいことで言えば、スーパーでの買い物をどうするか。

歯磨きの前に歯ブラシを濡らすか濡らさないか。

体験にお金を使いたいけど、どこまでお金をかけるべきか。


挙げたらきりがないぐらい、日々の生活に価値観の違いを感じることが多い。でも、ずっと一緒にいるからこそ見えるのであって、新婚1年目のうちに直面しておいて良かったのかもしれない。


将来について真剣に考えるようになる


安定の大企業を手放してみて、守られていたことを改めて実感する日々。

2人で自問自答をひたすら続ける、キラキラ見えて泥臭い海外生活を送っている。


自分たちにはなにができるのだろう?

一生をかけてやりたい仕事ってなんだろう?

どんな生活をしたい?


この悩みを真剣に考えられるようになったのは、会社を辞めて海外に来たからこそ。

守ってもらえる後ろ盾を捨てたからこそ、これからどうやって2人で人生を歩んでいくべきかを考えさせられる良い機会になっている。


***


今はぶつかることも多いけど、問題をなあなあにして、数年後ある日突然「もう価値観が合わない。これ以上一緒に生活するなんて無理。離婚だ!!」となるよりは、小さな芽を地道に潰していきたい。


修行だ、墓場だ、と言われることが多い結婚。

同志として、時にはライバルとして、お互いを高め合える関係性を築き上げていくものだと思う。

でも喧嘩が多すぎるのはよろしくないから、常に相手の気持ちに立って、なるべく穏やかな毎日を過ごしていきたい。

それにしても、小学生で習う「人にされて嫌なことはしない」という教訓は、人生の教訓だなぁ。

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