幻聴と会話できるようになった話


 色々あって、2019年12月から1月にかけてメンタルが絶不調だった。正確には夏ごろからずっと不調ではあったのだが、12月は特に不調だった。
 それで12月中旬ごろに家具にロープをくくりつけて首を吊ったのだが、家具の固定が甘くて失敗してしまった。結果的に命が助かってよかったと思うのだけど、かわりにしばらくの間は幻聴に悩まされることになってしまった。この幻聴がまたなかなかに興味深いものだったので、記録を残そう!というのがこの記事の趣旨であります。

まず、僕が遭遇した幻聴は三つだ。


(1)ネガティブ系
『はやく死んだほうがいいぞ』『死ぬなら今のうちだぞ』『これから先なにかいいことがあると思っているのか』というのをボソボソと呟く。
 ためしに、口を閉じたまま「はやくしんだほうがいいぞ」と発音しようとしてみてほしい。だいたいそんな感じの、くぐもった、小さな声が聞こえるのだ。まさにキングオブ幻聴というか、ひねりがなさすぎて笑ってしまうのだけど、それくらいスタンダードな幻聴だった。

 最初のうちは嫌だなあ嫌だなあと思っていたのだけど、慣れてくるとだんだん怒りのほうが強くなってきて、『おい、またお前か』『それしか言えねえのか、ワンパターンな奴だな』と反論するようになる。不思議なことに、そうすると幻聴がピタリと止むので、ちょっとおもしろかった。
 心霊現象において、悪霊に対して『おい、死人ごときが調子こいてんじゃねえぞ』などと強気に出ると悪霊が怯んで退散するという話をたまに聞くけれど、幻聴もそんな感じなのかもしれない。みんなも幻聴に困ったらキレてみるといい。


(2)人格がある系
しばらく経過すると、人格のある幻聴が現れた。これは幻聴というか強化型の妄想というほうが近いかもしれない。ハンターハンターの念能力で言えば具現化系だ。

 こいつはとにかく明るい奴だった。そしてうるさい。
 『今日も死ねなかったなー!』
 『まあいいんじゃない?生きてればなんとかなるよ』
 など、楽観的なのか無責任なのかわからないが、とにかく底抜けに明るく話しかけてくるのだ。会話の一例を抜き出すと、こんな感じだ。

『よう!今日も死ねなかったなー』
「うるさいな。またお前か」
『仕方がないだろ? 幻聴なんだから。どこにでも出てこれるんだ』
「いや、幻聴じゃないよ。お前は俺の妄想だ」
『どう違う?』
「幻聴っていうのはもっと重症の人間がなるものだ。それこそ多重人格の一歩手前とか、そういう人がな。でも妄想ってのは誰でもできるだろ。というか俺は小説家の端くれだし、小説家なんて常に何かしらの妄想をしている人種じゃないか。お前はその妄想の延長線に過ぎないんだよ」
『なるほどね』
「さも人格があるように振る舞っているが、当然それも俺がエミュレートしているものにすぎない」
『でもじゃあ、もし俺が本当に"もうひとつの人格"だったらどうだ?』
「どうって?」
『つまりお前は死にたいわけだろ。首吊りには失敗してたけど……"お前"という人格が死んだら、その体は俺のものにしてもいいわけ?』
「だから言ってるだろ。お前はただの妄想だから、それは無理だ」
『万が一の話だって! もしお前が先に死んで、でもって俺に本当に人格があるなら、抜け殻になった体を俺が使える可能性も出てくるわけだろ』
「別にいいよ。好きにしなよ。貯金もくれてやる」
『やったぜ! 名前はどうしよう?』
「名前?」
『だって◎◎っていうのはお前の名前だろ。そのまま同じ名前を名乗るのもおかしくないか?』
「好きにしろよ。幻聴太郎とか」
『適当すぎだろ。お前は自分の子供に『人間』って名前をつけるのか?』
「うるせえな……じゃあソウタでいいよ」
『ソウタ?』
「騒がしいから騒太。俺と一文字違いだし、ちょうどいいだろ」
『オッケー!じゃあ俺は今日から騒太だ!』
「うるさいからもう出ていけよ」

 こいつはシャワーを浴びている時など、鏡がある時に多く出現した気がする。また、騒太自身も自分は妄想の産物に過ぎないと自覚しているせいか、時々『なるべく死なないでくれよなー。死んだら俺も死んじゃうかもしれないんだからさー』と冗談のように言っていた。


(3)笑い声
幻聴系でよく聞くのが『みんなから笑われている』『クスクス笑い声が聞こえる』系のものだ。が、僕の遭遇した笑い声はちょっと違っていた。
大声で笑うのだ。しかも真顔で。文字にすると『アハハハハハハハハ。ワハハハハハハハハ。』という感じ。もちろん幻聴なので顔が見えるわけではないのだけど、もし顔が見えたとしたら、真顔で・こっちを見ながら・大声で・笑っている感じだったと思う。

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 さて、ここで一つ書いておきたいのは、一体どこまでが妄想でどこまでが幻聴なのか? ということだ。
 小説家というのは妄想屋だ。僕は子供の頃から四六時中なにかしらの妄想をして過ごしてきた。そこまでひどくはなくても、たいていの人は(一度くらい)妄想をしたことがあるだろうし、架空の人格とおしゃべりすることだってあるだろう。

 そうなると、これらの幻聴ははたして本当に幻聴と言えるのだろうか? それとも『幻聴っぽい妄想』止まりなのだろうか?
 明確に声が聞こえるかどうか、というのは一つの判断ラインになると思う。しかし小説家ともなれば、『なんとなく声が聞こえたかもしれない』くらいの妄想は自由自在だ。なんとなく声が聞こえた、というレベルの幻聴は幻聴なのか?それとも妄想なんだろうか?
 いや、仮に本当に声が聞こえたとして、それが妄想なのか幻聴なのか誰が保証してくれるのか?
 誰も保証してくれないだろう。だって妄想でも幻聴でも他人には聞こえないんだから。結局、最終的には(妄想なのか幻聴なのかは)自分で判断するしかない、ということになる。

 はたして僕が遭遇していたのは幻聴だったのか、ただの妄想だったのか。
 結局わからないまま3月も終わりに近づいているし、精神も徐々に回復してきている。あとはこの経験が仕事につながればいいのだが、一年に二万人以上が自殺している自殺大国日本においてこの程度の幻聴はそう珍しくもないのだろうなあ。そう考えると、ちょっとガッカリだ。


■クオンタム■
 しがない駆け出しラノベ作家です。『勇者、辞めます』1~3巻&コミカライズ1~3巻、好評発売中。
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