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呼び捨てとさん付けの違いとは

普通、子供の頃からの憧れのスポーツ選手や歌手やアイドルなんかは呼び捨てのはず。志村けんと呼んでも志村さんとは呼ばない。会ったことがない人だから。

しかし、これが一度でも仕事をしたり、何かでご一緒した途端に呼び捨てにできなくなってくる。小学校から大ファンだった作家の筒井康隆さんのことを当然ながら12歳ぐらいからずっと「最近の筒井は・・」とか「筒井の新作はええなぁ」とか生意気にも言ってたし、ま、僕でなくてもたいてい誰もがそんなものだったはず。

あるとき、ニュース番組で「言論の自主規制」問題を取り上げることになった。 部落差別に対して当時もいわゆる「激しい糾弾」がまだ残っていた時代で、メディアでなにか失言した日にはいろんな団体から容赦ない抗議がきたものだ。それに懲りてテレビ局には「考査」という部署が存在し、最初から危ないと思われる表現をどんどん「ピー音」化したりカットしていった。いわゆる自主規制だ。この風潮はつまるところ「言葉狩り」につながり、表現の自由や言論・出版の自由を損なうものではないのかという危機感がメディアに関わるものに共通の認識としてあった。僕もその1人で、そこで、当時、教科書に掲載された過去の著作に差別的な表現があるとしてそこで表現された病気の支援団体から猛烈な抗議を受けたことで、プッツンして(と当時本人が表現してた)「もうどこにも書かない」と断筆宣言をした筒井康隆さんをスタジオゲストに呼んだのだ。ずっとファンだった人でも一度でも仕事をしたらこれはもう「筒井さん」と呼ばざるを得なく、その後も一度も再会することは今のところないのだが律儀に「筒井さん」と呼んだり書いたりしている。

何を書きたいかというと、この「一度でも仕事をしてしまうと空気が変わる」現象が、1番関係するのが、その人が起こしたスキャンダルの時だから。

あるお笑い芸人が「コロナで困窮したらきれいなお嬢さんたちが風俗に来る。これは楽しい」と発言し、炎上した。僕もこの発言はありえないと今でも思っているし表面だけ謝罪したところで彼の風俗好きが変わるわけでもないし、内心で舌をペロッと出してまたそういう女性を物色する日々がくることはわかっているので容赦なく叩いたし、なんなら今でも子供番組をやっていることは尋常ではないなとまで感じている。

先日、グルメで知られるあるお笑い芸人が不倫で告発された。実際にやっていることは炎上発言をしたお笑い芸人以上にひどい。人としてありえない。しかし、僕はこの人と仕事をレギュラーで一年ほどやらせていただいたことがあり、すいぶんお世話になった経験があるのだ。当時も今も呼び捨てになんかできない。そうなるとそのつもりはなくともなんだか手心を加えたような表現になっているのではないかと自分でも気になり始める。あえてより厳しいことを書いてみたりもしてみる。 なにやってんだ、バカヤローと言ってみてはなんとなくチクッと胸が痛む、そんな複雑な感じになってしまう。情けないことだ。

長嶋巨人が嫌いだった。選手時代はよく知らないのであくまで監督としての長嶋についてだけだけど、子供の目から見ても采配はちんぷんかんぷんで投手起用も代打起用もただの思いつきで忍耐のないものだった。「カンピュータ野球」などと揶揄されていたけど、カンで動かされる選手はたまったものではないだろうと思ってた。長嶋が監督を続ける限り、巨人はダメになると思ってた。なので第一次政権が解任という形で終わったときはむしろホッとしたものだった。ああこれで巨人は強くなると。実際、翌年の藤田政権はいきなり優勝してみせた。

それからだいぶたって、監督として復帰しても長嶋は相変わらず長嶋だった。多少は振る舞いに年齢相応の落ち着きは出たもののあまり論理的とは言えない戦略と直感を大事にする采配は相変わらずだったのだ。僕はまたまた「ああなんでこいつなんだ」と心の中で毒づいてた。

そんなある年の開幕前に、番組用に長嶋監督のインタビューをとれることになった。皆からは「いいなぁ、会えて」とか言われたけど、正直別にそれがどうしたと思ってた。ところが当日、控え室で「どうも」と入ってきた長嶋の笑顔に僕はころりと参ってしまった。その日からまたしても「長嶋」から「長嶋さん」に変わってしまった。いやあ会うといい人なんだよ。オーラもあるし、そのうえ優しいしさ。

いま、ネット上ではそれこそ会ったこともない人を親の仇かのように罵る人たちで溢れている。「なぜ一度もあったこともない人にあそこまで言われなきゃいけないんだ」とぼやく有名人の人もいるけどそれは逆なのだ。会ったこともないし、特に仲良くもないからこそあれだけ好き放題に皆書けるのだ。一度でも面識があったり仕事やプライベートなどで交流を持ってしまったらあんなことは皆書けないはず。テラハ事件は本当に不幸な事件だったけど、彼女の普段の人柄とかを皆が知ることができていたら画面の中で演じているものは虚飾でしかないことは理解されたかもしれないがそれは言っても仕方ないことなのだろう。

自称天才編集者がフリーの女性ライターに対して行った言動も許しがたい。なぜ彼が余技でやっているテレビ出演などだけ自粛して本業の方でなんらかの懲罰を受けないのか疑問でしかなかった。完全にコンプラ違反だったからだ。でも。これまた彼をよく知る人ほど彼を擁護したし、嘘かまことか「死にたい」などと呟くと皆が動揺し心配してた。僕は「なんだこいつ、人にはあれだけ尊大なのに防御は弱いのな」と感じてた。でもこれも実際に仕事してたらまた違った感想を持ったであろうことは否めない。

いまSNSの世界では罵詈雑言や誹謗中傷がおさまらない、だから皆が直接知り合えば解消する、そんな単純なものではないことは十分理解してるし物理的にもそれは不可能だ。だとしたらせめて想像力を持って書くことが大事だ。「自分の親友や家族にもそれ言える?」という想像力。本当にそれでも胸を張って言えると思うなら堂々と論陣を張ればいい。正々堂々と。ただ、多くの場合はただの悪口になっているのは事実。知らない人には厳しくなり、知っている人には手心を加えてしまう、これが人間の性なのかもしれない。

新聞記者が検事長と麻雀してたのを「肉薄するため」「情報を収集するため」とか周囲の記者も擁護していた。「いざという時には書くのだ、それが記者だ」とも。嘘だ。普段から信頼してくれて可愛がってくれている人を陥れるような記事をいち速く書くことなんて人間なら絶対にできない。だからこそあれは問題だったのだ。それに気付かないわけはないのに自分はまるで超人かのように答えているだけだ。無理です、無理。そんなの。

というわけで今回の一件、どうしても歯切れが悪くなってしまった。でもそこは書かざるを得ない。やはりダメなものはダメなのだ。報じられる前に自粛して逃げちゃうなんてダメですよ。正々堂々と取材を受けて、関係各所にも自分の足で出向いて謝罪して、とにかく誠心誠意きちんとやらないと。ダメです。渡部さん。。

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映像プロデューサー。TVでは主に情報提供番組、報道番組、ドキュメンタリーを制作。