母の本棚にあった本
母の本棚に普段見慣れない本が並んでいた。
『発達障害の人が見ている世界』 (著:岩瀬 利郎)という本だ。
なぜこういう本が家にあったのか不思議だった。
そして図書バーコードもない。あきらかに買った本である。
むしろ両親ともにLGBTQやら発達障害などのワードに対して、敬遠したり気難しく考えているはずだし(と私は思っている)。
むしろ関心を寄せること自体これはなんかあるなとへんな勘を働かせてしまう。
知人、、職場の人、、父親、、祖父母は亡くなっているのでさすがに考えづらい。
ただ話題の本だからという理由?
無意識にわたしのおかしなところが少しづつ勘づかれたのか…?
いろいろな気持ちを交錯させながら
わたしはこっそりとその本を手に取った。
いちばん共感していること
本書は冒頭ページのチェックリストからはじまり各セクションごとに日常で起こることの具体例をあげて当事者の行動・思考パターンその特徴について説明されている。
チェックリストでわたしは「不注意」+「傷つきやすさ」タイプをもちあわせるASD、ADHDのグレーゾーンにあたいするらしかった。わたしはよくあきらかに周囲とかみ合わない空気感を感じつつ、自分でも理解できない取り乱し方をしているとき頭の中が(?)ってなってしまう。
本を読み進めるうちに、日常的な場面を想像してみるとなるほどこういうことかとその理由めいたものが見えてくる。
「聴覚情報<視覚情報が優位である」
「曖昧な表現が理解できない」
「感情をうまく表すことができずコミュニケーションが下手になりがち」
「注意が次から次へと移ってしまう”単純ミス”の多さ」
「過集中」
「言葉の裏をよむことができない」
よくつまづくなと感じることとしてコミニケーションは、話す内容はわかるのだが必要以上に注意深く聞いたり話したりするために、とっさに理解することがむずかしい。
変な言葉の意味のとりかたをするし冗談などもよく分かっていない。
また「あれ」、「それ」、「むこうのほう」など口頭で指示を出されても、
どこまで求めているのか(程度)がよく分からないこともあった。
指示する側からすると「いえばわかるでしょう」なんだろう。
それでも視覚的に完成形を示してもらえないと分からないままわたしの解釈で次の作業に移れば、どうやら指示内容とは違うらしいってことになり、中途半端な仕事をする人みたいに捉えられてしまいがちだ。
ひとり反省会もしがちである。
これが1つ、たぶん言葉の裏、曖昧さで悩む要因だと考える
もう1つは注意対象がめくるめく移りやすいということ。
それぞれの仕事のルールが、スピード感を求められたため、マルチタスクをやろうにも逐一切り替えて仕事に取り組むのがむずかしかった。
全体を把握してアバウトに取り組むのは得意だが、集中が長くつづきづらい。(=手抜きをするという意味ではない。1つの仕事に対する持続性があまりないということ)
それでも自分の性質を知る旅はつづく
直近の職場は商品を出荷したり決まった棚に商品を戻す倉庫管理の仕事。
出たり入ったり繰り返しているがまったくのあてずっぽうで入ったわけではない。
裏方で人と会わず倉庫の中を終日歩き回っている仕事なので、体力勝負だが飽きはこない。かつコツコツとしたペース感のなかで取り組める。
ここでなら長く働けるはずと考えていた。
しかし、仕事の処理のスピードがまわりと合わなければ、監視されてるかのように進め方について逐一指摘される現場だったため、緊張がつねにあったこと人間関係にうまく溶け込めず集中して仕事ができなかった。
他人を変えようがない。
それもわかっていた
ふしぎなものでいろいろ言われ続けると人にたいしてどうのと怒ることもなくなっていくのだが。
人に指摘されないまでも、自分でもちょっとおかしいのか…?と悩み始めたタイミングでもあった。
数量の数え間違いなど凡ミスが多い日は、たしかに目の前に注意がむいておらず心ここにあらずになりがちだった。
人間関係ゆえに仕事が合わなくなるのか分からないけれど、自分でも他人に対してムカつくこと以上に自分自身の取り組み方について引っかかりを感じることが増えた。
全体の感想
「生き辛い」とは主観的なもので、周囲とのズレを感じながらもそれを知らんぷりすることができる(自分を貫ける)かどうか。
社会と自分の関係を相対的にみたときわたしはそのズレを気にせずにいられるだろうか。それが生き辛いということなんじゃないだろうか。
本書を読み終えてみると「生き辛い」ことには変わりがないのだと感じた。それならばASD、ADHDの両方のグレーゾーンとして認めてしまおうと思う。
この本を見つけたときも親を警戒するなかでも謎の安堵感がわいていた。
職場で悩んでいたことや心配、前々から発達障害当事者の方々の情報発信を読んでいたこともあって、それが重なったタイミングでもあった。
それは自分をしっていく道のりはもうここまで来ている、そのサインなんだろうと。
少しでも付き合いやすい人と穏やかな環境と。
自分をしっていくことで、整えられることはまだまだたくさんあるように感じている。昨今の当事者の方たちの発信のおかげで、恐れおおくも勝手な仲間意識を徐々にもちはじめている。
(P.S.発達障害とは別だがわたしは「HSP」属性には確実に入る。帯にはHSPにも読んでほしいと書かれているので、わたしのように診断はないけど疑わしい・悩んでいる人には自分のトリセツがわりに読んでみても発見がある)