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本山ゆかりインタビュー(2/2)

前回のインタビューでは2015年から制作し続けている「画用紙」シリーズについて使用する画材やモチーフの変遷など作品制作における技術面からアプローチした。簡略化するルールが出来てきたことや、近作で作品内に出てきた「穴」は作品が展示されている壁面を「絵の一部」として取り込んだことなどを知ることが出来た。
本山ゆかりインタビュー(1/2)はこちら→https://note.mu/qqwertyupoiu/n/n257b16a17cd6

聞き手:平間貴大


──ドローイングのためのお絵かきソフトはペイントソフトを使っていますか?それともドローソフトを使っていますか?

本山:ペイントソフトです。昔はSAI(*1)を使っていました。ペンタブで描いています。iPadも使っていますが、ペンの設定にまだ慣れません。紙は描くのに緊張してしまうのと、レイヤーで足したバージョンと引いたバージョンを見比べることが出来ないので使っていません。

──デジタルツールで作成したドローイングを習作として展示することは考えていますか?

本山:デジタルツールで描いたドローイングを冷静に見ながらアクリル板に描くのがすごく大事なんです。パソコンでドローイングをやりたいのではなくて、アクリル板へ絵を描く時の道標にするための何かを自分で手に入れなきゃと思ってドローイングを描いています。作業としてはパソコンでのドローイングが先なのですが、優先順位としてはアクリル板に描くことのほうが高い。依り代としてのドローイングなんです。だからあれを展示する必要はありません。
パソコンで描くドローイングは本画というポジションに対して考えると、一般には習作という立ち位置になると思うのですが、どちらかと言えば、静物画のモチーフと同じような感じです。コップを描く時にコップを見るのと同じように見ています。アクリル板に描く時には自分に都合が良いように改変もしています。

──モチーフが限定されているとか、描いてはいけないモチーフがあるという話でしたが、例えばポップアートのように時事ネタや政治ネタを扱うより、普遍的なものや普段の生活に近いものの方が選びやすいですか。

本山:生活の中で使うものなども、すぐに時事ネタにつながってしまう可能性があります。今は「良い暮らし」というのが商業的にパッケージされてきている時代だと思うんです。例えば無印良品などで見られるように「スローな生活」や「丁寧な暮らし」自体がかなりマーケットに取り込まれています。すべてラベルが貼られているんです。私生活自体はそういったものへの憧れがありますが、モチーフは出来るだけ匿名性の高いものを選んでいます。最近はInstagramなどもあって、自分の生活を他人に見せやすくなっていると思いますが、モチーフはそうならないようにしたいと思っています。

──下描きとしてのデジタルツールでのドローイングと、作品としてアクリル板に描く間に時間を持つと言う話が『絵画検討会2016-記録と考察、はじめの発言』(*2)にありましたが、今回の展示の搬入の際、期間を2日間用意して、1日目に搬入したものを一度“冷まして”から見直したと聞きました。それと近いように思いました。

本山:搬入も時間を置いたほうがいいというのは最近になって実感がわいてきました。

──展覧会の構成は本山さんが決めたのですか?

本山:今回の展示は空間構成も自分で決めました。作品点数から配置まで自分です。

──展示空間自体を絵画に見立てて展示構成をすることはありますか。

本山:展示空間にリズムがあるのは嫌いなんです。もちろん作品同士の間隔はありますが、目を楽しませる為ではなく、見やすさを優先したものです。

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画用紙 (二層) , 2019 ©本山ゆかり
Courtesy of Yutaka Kikutake Gallery

──作品の後ろ側が透けて見えてしまうので壁の色も入ってしまうんですね。特に新作では白の部分が薄塗りのところが多いです。

本山:ホワイトキューブをMoMA(ニューヨーク近代美術館)が導入し、美術館自体が美術作品を集中して見るための空間を作るようになったと言われていますよね。「画用紙」シリーズの問題として、ホワイトキューブへの依存度が高すぎて、普通の家の部屋へ飾ることには全然適してないことが挙げられます。どこにおいても存在感が強いものでもありません。絵が持っている全ての強さを反映することが出来ない。そういうものを見るための場所としてホワイトキューブを利用しています。

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Rope(Drawing1,2,3)2014,©️本山ゆかり
Courtesy of Yutaka Kikutake Gallery

──今回展示している作品以外にも、過去にはロープの作品を作ったりしていますね。ああいうものがあることで何がやりたいかという事は伝わりやすい気がします。他のバリエーションのものがあると助けになるところもあると思います。

本山:そういう関係になるといいなと思います。実は今、布の作品の制作を進めています。布は今まで扱ったことがない素材なんですが、その割に服など身の周りにありすぎる素材なので、折り合いをつけるのにすごく時間がかかっています。あまりまだ外に出せていない作品です。また、周りにたくさんあるのにアクリル板に作品として描いてはいけないと自分の中で思っているモチーフがすごくたくさんあります。炎もそうでした。炎はどのように描いても意味深なイメージになり、状況を乱してしまう。意味深では無い物を探したらマッチの炎になりました。そういった扱うことが難しいモチーフも、他の支持体で扱ってきたいです。

──2017年に遠藤水城さんがキュレーションした展覧会「裏声で歌へ」(*3)にも参加されていましたね。

本山:遠藤さんは私がどうやって作っているかを一切知らない状態だったんです。終始そうでしたが、なぜか全然嫌な感じがしませんでした。無関心のようなそぶりだけど、私がどういうつもりでこの絵を描いたかということと、他の作家と一緒に展示されている状態の絵を切り分けて考えた上で、展覧会に私の絵が必要だと言ってくれました。今この時にこの展示をやることが本当に、世の中にも僕にも必要だという感じだったんです。美術史的なポジションではなく、本人の中に文脈が存在していました。遠藤さんがそういった展覧会のあり方を強く信じていることに感動しました。

──グループ展と個展ではどちらの方がやりやすいですか。

本山:個展の方がやりやすいですね。グループ展でもキュレーションがあれば、自分の役割があるので、それに沿って振る舞うこともできますが、搬入時にどこにどの作品を展示すればベストなのかを作品を持ち寄ったその場で考えることもあります。そうなるとすごく時間がかかるんです。自分が企画した展示ではない場合、自分がどういうポジションなのかを考える必要があって、そこが難しいです。絵画検討会2016(*4)の時は私がどんなポジションなのかを考えるのがめちゃくちゃ難しかったのですが、主催者の高田マルさんは私の話をちゃんと聞こうとしてくれたので、そこはやりやすかったです。当時は私の交換留学の時期も重なっていたので、その準備もあって京都にいることが多く、あまり参加できなかったのが悔やまれます。

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──グループ展では自分のポジションを考えるという事ですが、美術史的に自分のポジションがどういう位置にあるか考えたりしますか。

本山:絵画史や美術史はすごく大きな話です。情報としては知っているんですが、実感としてはわからない。絵画を使って作品を作る作家を大別することは出来ると思いますし、私もそこに放り込まれているのかなと思います。絵画史に実感をもってやっている人たちもいるんだと思いますが、私には実感がない。絵を描くことが好きと言う人は世の中にたくさんいますが、私は私で、自分で経験しない限り一生わからない。作品を見ることで情報は得ることができますが、描くことでしかわからないこともたくさんあります。歴史の中でというよりは、絵のことが好きで絵にまつわることをやってきた人たちとは同じステージにいると感じています。時代とかで考える事はあまりありません。逆に言うと、何百年も前の作家でも同じステージに立っているという実感はあります。個別に誰がいて、私がいてということではなく、絵を描いている人は大体同じフィールドにいるという感じです。
絵を描きはじめた頃からいわゆる天才絵描きに対する嫉妬心や憧れというものが私の中にずっとあります。絵を描かざるを得ない、自分の生活の中に絵があるような、制作と生活の距離感が近い人に憧れますが、私はそうはなれなかったんです。

──現代アートがどうかということ以前に絵を描くこと自体がとても大きくて、絵を描く実感を得ようとしている。

本山:絵を描くことを楽しんでいる人たちのことを、自分も絵を描くことで知りたいと思っています。私の作品を現代アートとして見てもらうのは問題ないのですが、その文脈を意識して説明させられることに、私は耐えられません。絵の方を向くこと自体を楽しみたいです。描くことが生活に密着している人たちのことを知りたいから、自分の中に存在する絵を楽しむ力の鱗片を分解して、これがこうだから私は絵が好きなんだ、でもそれを全部引き受けることは私には今はできないという状態で作品を作っているんです。絵の要素を分解して、できるだけ私も絵の良さに近づこうとしている。
絵が好きだから描き続けている人と、客観的に絵画を素材としてコンセプチュアルな作品を作っている人たち(絵画のルールや定義を素材として使う、イメージや物語を伝達する為の土台とする場合など)がいて、そこにはグラデーションがあります。そして絵画を素材にして作品を作る人たちの方が現代美術のカテゴリに入りやすいとしたら、私はとても中途半端な位置にいるんだと思います。これからどうしていこうかと悩んでいたタイミングで、YKGに声をかけていただいて今回の展示になりました。

──これからの予定はありますか?

本山:12月に京都で個展があります。布の作品をできる限り高いクオリティで出品しようと思っていますが、今は自信がありません。クオリティの高いものがすぐに作れるわけではないので、何が必要なのかを探す所から始めています。布を縫うって、ド素人でも上手いか下手かがすぐにわかってしまうので、裁縫が上手く、技術を持った人の助けが多分必要です。この作品はほぼ全ての情報を布が持っているので布選びが重要になってきます。紙のように同じものがたくさんあるものだと思っていたのですが、いい布を見つけてもそれが常にたくさんあるわけではないようなので色んな所で布を買い集めています。布ってそういうものなんだという発見がありました。布の情報量の話でいうと、以前豊田市美術館のコレクション展で宮脇綾子さんの作品を見たのですが、当時は物が少なかったから端切れを貼り合わせて野菜や魚の形を作っていたようです。小さな素材を縫い合わせているので、一つ一つの情報と全体の情報量が同時に見れるような作品でした。私はまだ布のことは良くわかっていなくて、何が着心地のいい布なのかということもわかりません。服飾の人たちはこんなところから考えているんだと感心しました。その点はアクリル板とは全然違いますね。

──端切れにはそれぞれ固有のテクスチャーや色味があるので、出来上がった全体像と、細かく見たときの縫い目や素材感の印象が違って見えるのかもしれません。アクリル板と布は工業製品と捉える事が出来ますが、実際には布の方がバリエーションが豊かそうですね。布の作品制作を通して、さらなる新しいアイディアにも期待しています。今日はありがとうございました。12月の個展も楽しみにしています。

*1. ペイントツールSAI
*2.『絵画検討会2016-記録と考察、はじめの発言』
*3. 参考:美術手帖 遠藤水城が企画する「裏声で歌へ」展が小山市立車屋美術館で開催、artscape キュレーターズノート 裏声で歌へ 中井康之(国立国際美術館)
*4. 絵画検討会2016

「その出入り口(穴や崖)」会場風景(トップ画像) Courtesy of Yutaka Kikutake Gallery


・本山ゆかりwebsite:http://motoyamayukari.net/

・平間 貴大(ひらま たかひろ)Takahiro Hirama
元・新・方法主義者(2010-2019)。2010年8月、個展「第1回平間貴大初レトロスペクティブ大回顧展」、「『反即興演奏としてのマラン・メルセンヌ+ジャン=ジャック・ルソー』『10年遅れた方法音楽としてのマラン・メルセンヌ+ジャン=ジャック・ルソー』同時開催展」、2018年「パラレルキョンシーズ」。2015年6月より野方ハイツメンバー。

「レビューとレポート」 第6号 2019年11月
(パワードbyみそにこみおでん)

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