2時間の迷惑

最近になって思い出したことのメモ。

わたしは、エホバの証人2世として育ったが、信者生活を楽しんでいたかというと、楽しめなかった。いつ楽しくなるのかなと期待していたけれど楽しくはならなかった。
でも、わたしの理屈では、
わたしがあって神がいるのではなく、
神がいてわたしがあるのだから、
わたしが楽しかろうが楽しくなかろうが、やることは決まっていた。
伝道。

幼いころから、「家から家の伝道活動」をしていた。だいたい1回2時間。親や仲間の信者からは褒められることだったけれど、家の人には訪問を嫌がられる場合が多く、それを感じるといつも申し訳ない気持ちだった。

(あの嫌らがれる瞬間瞬間、みんなどういう気持ちで過ごしていたんですか? わたしは、いたたまれなくて、すみませんすみませんという気持ちでした。)

たとえ「この世界はもうすぐ滅びます」と警告して回る「伝道」という行為がある人にとっては救いに思えたとしても、ほとんどの家主(伝道した相手)には嫌がられていた。「連れ回される子どもが不憫だ」と指摘してくる人もいた。その一軒一軒の相手から伝わってくる、困ったような苛立ちのような気持ちを見過ごせなかった。ほかの信者だって、肌で感じていたはず。まぁ、それを大したことがないとすることくらいは、洗脳のなせる業なんだろうけれど。

そんなわけで、わたしは1時間伝道活動したら、同時に1時間すみませんと謝って回っている感じだった。

この卑屈な態度は伝道以外の日常生活でもそうだったし、社会人になってからもそうだった。堂々とできなくて、謝ってばかり。そういう自分に優しくしてくれる人もいれば、漬け込んでくる人、支配してくる人もいた。宗教をやめたところで変わらない。そういう性格になっている。

でも、謝ってばかりの人間って、自分だけじゃない。
おそ松くんのオープニングテーマ曲のお父さんとか。
足を踏まれて謝るたびに思い出すんだ。


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

5
小説を読んで、日常に感じることを書こうと思います。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。