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ひとりの同性愛者が考える。日本に「同性婚」は要らない。

割引あり

最近、LGBTだとか同性婚だとか、テレビのニュースが騒がしいじゃないですか。あれ、当事者の一人としてめちゃめちゃ怒ってます。なぜ?と思った方もそうでない方も、ぜひ読んでください。


同性婚を求めていない同性愛者はいる

 ぼくはゲイであり、パートナーと共同生活を送っている。
 しかし、職場や地域にカミングアウトしていない。
 まあ、見る人が見れば薄々気づいているのではないかとは思うのだが、少なくとも、現在ぼくが所属しているコミュニティ内では「私はゲイです」と公言していないのだ。
 そんな人間が、同性婚などという「自分たちの関係性を社会に知らしめる」行為をする必要性など、一切ないのだ。

 おそらく、ぼくだけでなく多くの同性愛者が同じ意見だと思う。
 なぜなら、多くの同性愛者も、ぼくと同様にカミングアウトせず(同性愛者であることを世間に公表せず)に日々の生活を送っているからだ。
 同性愛者であることを公表していない人間が、同性婚などという、自分たちが同性愛者であることを社会に知らしめる行為をわざわざする必要がないのだから。

同性愛者が同性婚をする必要がない、たった一つの理由

 同性愛者が他の異性愛者ができる婚姻が出来ないことで、「入院の立ち会いや看取りができない」「自分の身にもしもの事があった時に、パートナーにお金を遺してあげることができない」といった現実的な問題を主張する論がある。

 しかし、日本には「養子縁組」という素晴らしい制度が、すでに存在しているのだ。

 養子縁組をすれば、他人とでも親子に準じた関係になれるので、病院等でも家族として扱ってもらえるし、遺産相続も問題なく出来るのだ(わざわざ公証人を立てて遺言書を準備しなくても)。
 養子縁組をすると年長者のほうに名字を合わせることになるが、一つの家族としてやっていきたいのなら受け入れるべきであろう、と思う。

 このあたりの事は「ジャックの談話室」というブログに詳細に書いてあるので、日本におけるゲイの人権のリアルに興味のある方は一読してみてほしい。

「パートナーシップ制度」、やりたい人は勝手にやってれば?

 近年、一部自治体で始まっている「パートナーシップ制度」。申請すると証明書がもらえて、一部サービスで夫婦と同様の割引を受けられたりするらしい。
 まあ、ぼくからすると「おままごと」なんだけど、自分たちの関係を社会に認めてほしくてしょうがない方は利用するとよろしいんじゃないでしょうかね。

「同性婚を推している人達」の正体

 さて、最近ニュースで「同性婚」などとやたらに騒がしい。一部の政治団体が、今年のサミットまでに同性愛の理解を促進する?だとかいう法律を通すことを目指しているらしい。
 個人の理解に対して政府が踏み込んで操作しようなどチャンチャラおかしい事なので、内容についてはここでは触れない。まあ、特に害がないなら別に作ってくれても問題はないけどネ。「パートナーシップ証明書」なるものを政府が発行したっていいと思う。おままごとはご自由に。。

 では、なぜ「同性婚」なるワードがテレビの報道番組で躍っているのか?
 日本国憲法には「両性の合意のみに基づく」とある通り、男性と女性同士の結婚しか認められていない(戸籍上の性別を転換した方はOK)。なので、本当に同性婚を実現するためには憲法改正が必要になる。
 憲法を改正するにはめちゃくちゃ厳重な手順を踏む必要があり、そうそう簡単に変更できない仕組みになっている。少なくとも、「同性婚ガー」と叫ぶだけで本当にそこまでたどり着けるとは、例の政治団体もハナっから考えていない、と見るのが妥当だろう。

Yahoo!ニュースより(https://news.yahoo.co.jp/articles/08cd129076f58fb1d75f42028aa7be08ee31011e)

 では、なぜ彼らは本気で実現する気もない「同性婚」を声高に叫んでいるのか?
 その補助線となりうるのが「夫婦別姓」である。

 報道番組や一部新聞社が発信するニュース記事に目を凝らしていると、全く別問題であるはずの「同性婚」と「夫婦別姓」を一緒くたにした問題提起がなされている例を多く見つけられる。

 では、なぜ「同性婚」と「夫婦別姓」を同一の問題として推し進めたい圧力が存在するのか?
 ここからは憶測でしかないことはご承知いただきたい。

 おそらく彼らは、自分たちに有利な「何か」をゴリ押ししたい目的があって、そのために何としてでも既存の結婚制度(と戸籍制度)を破壊しようとしているのではないか。そのために選択的夫婦別姓など同性婚などと騒ぎ立てて、なんとか風穴を開けようとしているのではないか、と勘ぐってしまうのだ。

 つまり、同性婚を推している一部政治団体は同性愛者の「これからの暮らしていきたい姿」などに何の興味もなく、ぼくたち同性愛者を自分たちの政治主張を通すための道具として、ダシとして利用しているにすぎないのだ。

もう、いい加減にしてくれ

 この動きは、今に始まったことではない。
 10年以上も前から彼らが積み重ねてきたことなのだ。
 ゲイパレード然り、「LGBT」然り。
 ぼくたちの同性愛という属性が、長年政治利用され続けてきたのだ。
 そして今年、テレビの報道番組をつければ「同性婚」「LGBT」と毎日騒ぎ立てるまでに成長したのだ。彼らの利権が。

 もういい加減にしてくれ。ぼくたちを利用するのは。
 もう放っといてほしいのだ。そっとしておいて欲しいのだ。
 「同性と性行為をする」という一点以外は一般社会に溶け込んで暮らしている、ぼくたちのことを。


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