【日記】それほどイスラム的国家ではなくなることを強く決意した国、トルコ
僕は、トルコに対して正確な理解があるわけではない。とてもわかりやすい教科書のようなものを、二冊読んだだけである。
しかし、そんな理解でさえ、得るものは大きかった、自分にとっては。
以前、トルコの現地の人が、私達は厳密にイスラム教のルールを守って生活しているわけではない、しかし自国民はそのことにあまり自覚的ではない、といった旨の、国民の自己分析みたいな文章を読んだ、と書いた。
それほど強いニュアンスではないが、そこには、自己批判を試みたような調子もあった。
だが、トルコのこの、強力ではない「脱イスラム教的国家」という立場は、注意深く、ピンポイントに、強い意志を持って打たれたひとつの点であるかもしれない、と思った。
ものすごく大ざっぱな理解。第一次、第二次世界大戦期において、トルコは「オスマン帝国」であることから、「トルコ共和国」であることを選択した。
諸イスラム教的国家にとって、かなりショッキングなこととして、トルコは、カリフという、宗主が国の重要ポジションに同時に位置しているような階級、このシステムも捨てたのである。
どこまで近代化するつもりだ。ヨーロッパ化するつもりだ。我々の聖典が指し示す道を歩かないのか。おそらく、諸イスラム教的国家は、そんな怨嗟の声を上げたのではないだろうか。
しかし同時に、それだからといって、強くイスラム教を排斥したわけではない。国民の多くはイスラム教徒であり、やんわりとそのルールに従いながら生活している。
どっちつかずといえばそうかもしれない。だが、そのどっちつかずである、どちらにも転ばない独特のポジションは、歴史的に必要なものであったと強く思うし、国民が総意として、そう望んだのではないだろうか。
第一次大戦の開戦あたりの時期には、「統一と進歩委員会」という、政治機関があった。国のさまざまな方針をその機関が決定していたのだが、その結果は、他にも原因はあろうが、広大な領地を失うことになった。
非難が「統一と進歩委員会」に集中し、解体した。一時的に、ヨーロッパの連合国に支配されたようになったイスタンブールと、東側の都市で、国が分断されたようになった。
それらの統一。ヨーロッパに巻き込まれまいとし、自国民としてのアイデンティティをからくも保ちたい。しかし、歴史的に、他国を侵略する側である、ヨーロッパ的な側面をオスマンという国は持っており、捨てることなどできないだろう。それらの結果であったのだろうと、想像する。