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【丸屋九兵衛がnoteというものを始めた理由】

 ある日、リノベーション雑誌を読んでいて、なんちゃらプロデューサーと称する人物が、つまらない連載をしていることに気づいた。
 嗚呼、有名人であれば、こんなに中身のない文章に対価が支払われるものなのだな、と一人ごちたワシは、次にこうも思った。
 自分の文章の価値を、それを読んでくれようとする人たちに直に問うてみてはどうか?と。

 ワシはずいぶん前に、雑誌『bmr』の編集者として、この業界に入った。
 もちろん、当時は紙の雑誌だ。だが現在、つまり2011年暮れ以降のbmrはウェブサイトである。これはこれで時代のニーズに対応しているが、その両者に決定的な差異があるのも、また確かな事実だ。
 決定的な差異。それは……ウェブサイトには、読者から直接、お金をもらう仕組みが存在しない、ということである。
 紙の雑誌にとっての収入は、読者が雑誌の対価として払ってくれる代金と、雑誌内のページを広告スペースとして依頼主に提供した対価としての代金だ。
 しかし無料のウェブサイトには、前者がない。後者のインターネット版であろうバナー、それにアフィリエイト、そして同じく広告料金の変形とも言えるタイアップ料金、のみだ。
 一方でワシは、半人前の文筆家として他の雑誌に寄稿することがままある。もう10年以上のつきあいとなる『SFマガジン』。それに『サイゾー』、そして『韓流旋風』でも連載を持ち、それらから収入を得ているのだ。
 では……読者の皆さんは、ワシが自己メディアに載せる文章に、対価を支払ってくれるだろうか?
 そこでnoteである。

 「お布施とオヒネリとギャンブルが交差する瞬間」。ワシはnoteをこう呼ぶ。
 「お布施であり、オヒネリである」という理屈は明白だろう。貴重な私財を投じてワシの文章を読んでくれんとする皆さんが、本当にありがたいパトロンでありタニマチであることには疑いの余地がない(noteには明らかなオヒネリである「サポート」という仕組みまである)。
 ただ、それが「ギャンブル」でもあるのは、このnoteというシステムが、発信者側に多大な自由を許容するものだからだ。
 単体の投稿——ワシの場合は、ほぼ文章だ——は「ノート」と呼ばれる。このノートたちをジャンルごとにまとめたのが「マガジン」。ここまでが大前提である。
 ノートもマガジンも、100円から1万円のあいだで値付けが可能だ。当然、複数のノートが収められるマガジンは、ノートより高い金額に設定される(ワシの場合、ノートは100円、マガジンは300から500円)。特筆すべきは、このマガジンに対する初期投資が半永久的に有効である!ということ。つまり、300〜500円払ったパトロンは、該当するマガジンに含まれるノートを全て読めるのだ。将来追加されるノートも含めて。ワシがそのマガジンを廃止したり、noteというシステムが変わったりしない限り。
 しかし! そのマガジンに今後、どれだけのノートが追加されるかは発信者次第。つまり、500円払った太っ腹なお客さんが、ノート単体を買った人よりも、どれだけ得をするか……は、ワシの胸一つ、ということなのだ。ギャンブルだろ?
 ただ、これは強調しておきたいのだが……丸屋九兵衛は——聖人君子ではないにせよ——ある種の誠実さを備えた人間ではある。だから、マガジンを買ってくれた人には損はさせないつもりだ。

 今のところ、ワシのnote内にマガジンは4種類ある。
 メインは、ブラック・ミュージック/カルチャー/ヒストリーを扱う「アフロの決死圏」
 SF/ファンタジーとスター・トレックについて書く「アーシュラさん、あなたに長寿と繁栄を」
 ヘビーメタルとハードロックに特化した「重金属の小部屋」
 カンフー映画について語っていく「kung-fu mvie revue」

 丸屋九兵衛のnote。
 これは無料情報が氾濫する時代に、グーグル&コピー&ペーストではない知識と文章の価値を問うものであり……なおかつ、そう、雑誌を失ってしまった編集長の再トライ、でもある。
 この試みに賛同してくれる方は、丸屋九兵衛のnoteにある有料コンテンツを——可能ならマガジン類を——購入してくれるとありがたい。心の底から感謝する。

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