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序章【フィラデルフィアから梁山泊まで何マイル?】

 昨日の晩餐の伴も、やっぱりカンフー映画だった。
 知っている人には当たり前の事実だが、知らない人には驚きかもしれない。ワシの夕食(それが実行に移されるのはほぼ日付が変わる頃だが)に付き物なのは、(SF映画かファンタジー映画でないかぎり)カンフー映画鑑賞なのだ。
 このnoteマガジン「kung-fu movie revue」は、そんなワシの日常を反映して、カンフー映画を語るコーナーである。
 第1回は、1972年の香港作品『水滸傳』aka『Water Margin』aka『水滸伝』を取り上げたい。これを最初の題材に選んだのには訳がある……という話に終始するので、今回は「第0回」ということになるかな。

※以後、カンフー映画のタイトルは「原題aka英題aka邦題」の順番で記載することを「kung-fu movie revue」の原則とする

 きみがヒップホップ歴15年以上のヒップホップ・ファンだとしよう。であれば、00年前後に「マウンテン・ブラザーズ」という名前を聞いたことがあろう……と思う。
 Mountain Brothersは、フィラデルフィア出身のヒップホップ・トリオ。サンプリングはほぼ不使用、メンバー自身の生演奏を活かして組み立てた、非常に趣味の良いヒップホップ・サウンドが特徴だった。一気にメジャーでブレイク……とは行かなかったが、カルト的な人気を博したものだ。
 彼らをヒップホップ史上で特筆すべき存在としているのは——リーダーのチョップスをはじめ、スタイルズもペリル・Lも——メンバー全員がアジア系だということだ。正確に言うと、一人が中国系、もう一人が台湾系、残る一人は中国系と台湾系のハーフと聞いた。要するに漢民族ということなのだが。
 マウンテン・ブラザーズが登場したのは、ジン(MC Jin / Jin the MC)が出てくるよりも前、ファーイースト・ムーヴメントがブレイクするずっと前。つまり、「アジア系アメリカ人によるヒップホップ」のパイオニアだった。特に、アジア系の動きが可視化されにくい時期の東海岸勢としては突出して。
 チョップスがバハマディアと共にm-floのセカンド・アルバム『Expo Expo』(2001年作)に参加したりというバズもあったが、グループとしてのアルバムは2枚しか出していないし、2003年くらいからは活動休止。だが、それでもワシらの世代にとっては忘れ得ぬアーティストだ。

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