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0607「悲しみを消化する酵素」

まだ日本にいる。昨日はBASSDRUMのライブ中継をやった。前回のを見て、自分がしゃしゃり出る必要はないなと思ったので横でソーシャルメディアに発信したりいろいろやっていた。こういうのは継続する他ないが、内容が結構良いので、もっと人を集めるためにはどうするかなと思う。あえて「会社」と書くが、会社というのも継続によって強くなる部分が多分にあるなあと思う。

その後は、なかなかお話できない人と酒を飲んだり、日本できちんとやっておきたいことや言っておきたいことを伝えたりした。なんとなく昨日は酒を飲むことに集中しないと行けない気持ちというのがあって、なるべく内臓に良いタイプの食い物を食った。居酒屋漫画などを読んだので、日本にいる間に機会損失を最小限にすべくいろいろ食べたくなるが、結局自分の場合、身体をきれいにすることがうまい酒を飲むためのコツな気がする。

昨日ちょっと驚いたのは、最近日本でニュースになっている、息子を殺害した事務次官の事件。あの殺害された息子さんが、自分の中高の2つ先輩で、つまり同時期に同じ学校に行っていたということだ。駒場東邦中・高等学校という、いわゆる中高一貫の進学校だ。確かに報道されている被害者の写真の制服を見ると、母校の制服に見える。

ものすごいショックだったというわけではないが、こういう場合、この息子さんの少年時代の体験(報道されている、母親を殴ったり云々)というのが、ただの報道ではなく、母校の情景と重ねて想像されてしまうので、なかなか重い。自分が生活していた場所の周辺で、そういうことが起こっていたのかということは思う。私は母校においてあまり楽しい思いをしたタイプではないし、どちらかというと中高は明るい時期ではなかった。特に中学低学年あたりは結構人間関係で苦しんだので、報道されているいじめ云々についてもやはり相応のリアリティを持って伝わってきてしまう。というより、自分も紙一重だな、というのはとても思ってしまう。

人間、生きようによっては結構なフレームレートで悲しみのような感情に襲われてしまう。たぶんそうではない人は多いのだと思うが、私などは、いろんなものを咀嚼すると悲しみが抽出されがちで、いろんな悲しいことを処理できなくなって穴に入り込んでしまう。今この瞬間も結構しんどい。わりと毎日しんどい。

私は家族や仕事におけるなんらかのリワードによってそういうものを抑え込んでいるが、そういう悲しみがバランスを失って加算され続けたとき、しんどさを相殺できずに受け入れてしまったときに、自分はどういう顔をして社会と折り合いをつけるのだろうか、とか、まあそういうことを考える程度には紙一重だ。悲しみを消化する酵素が追いつかなくなったとき、周囲が突然ホログラムのように見えてしまうことというのはあるなあと思う。

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