見出し画像

0402「戦争と戦争の間」

「あおぞら技術用語」の新しいのを公開した。今回は「リファクタリング」。第10回だ。初稿で結構雑でわかりにくい説明にしてしまったのだが、書き直して、ど素人の妻も理解できたようなので、たぶんわりと理解しやすくなったかと思う。

ロサンゼルスでのいろいろが終わったので、そのままオールスタッフでめしを食って酒を飲んでから深夜便に乗るべく空港へ。第2目的地、東京に向かわなくてはいけない。「このディナーは歴史的なディナーになるぜ」みたいなことを話したのだが、プロジェクトのキックオフみたいなものでそういうことを言うのは結構良くって、昔師匠かつPARTYの伊藤さんが、サガミオリジナルの「LOVE DISTANCE」の制作始めるときに、チームの前で「このプロジェクトは、カンヌでグランプリを獲るプロジェクトになります」って言って、グランプリは無理だったけど、実際記録と記憶に残る仕事になったので、勝負のときはたまに真似して大口をたたいてみたりする。しかし実際これうまく行けば相当やばいのになるんだけど、頑張らないといけない。

日本からもたくさんスタッフに来て頂いていたので緊張感が高かったが、わりと反省の多い結果になったのはあったので、帰りにまたちらっとロサンゼルスに寄ることになりそう。こんなにたくさんの人を動かしておいて、しょっぱいものはつくれない。困ったものだなあと思った。

平成が30年で終わるが、これはつまり、平成になってから30年経ったということだ。平成元年というのは、中学に入った年で、私の場合、中学受験というものをした。

主要な学校の中学受験というものは昔から伝統的に2/1に行われるものなので、昭和天皇が崩御された1月の中頃というのは、本番の直前ということになる。

平成の最初の日も、世田谷線に乗って豪徳寺経由で下北沢の「ひのき進学教室」に行ったが、電車の中で酔っ払いが泣いていて印象深かった。「天皇陛下も死んじまってよう泣」みたいな。

で、私はその日の本番直前テストみたいので結構壮絶に悪い点を取って、中学受験に入れ込んでいた母親を混乱させたりした。

というくらいに、その日のことは記憶にあって、私は40超えたおじさんだが、平成元年なんてまだ最近なのだ。平成30年いろいろあったが、こないだのことのようではある。多くの人も、平成って言われても最近始まったものであるという感覚はあるだろう。

そこでハッとしてしまうのだが、私が生まれたのは1976年、昭和51年で、その感覚でいうと太平洋戦争が終わってから31年しか経っていないときに生まれたということになる。

つまり、今の「平成元年って最近だよね」、というくらいの感覚で、戦争というものは最近だったということなのだ。

東京大空襲も、硫黄島も、ヒロシマ・ナガサキも沖縄戦も、玉音放送も、全部今から見た平成元年程度に最近のことだったのだ。もう少し遡ればアウシュヴィッツも、バビ・ヤールもだ。

それはそうだ。うちの母は戦中生まれだ。そういうことになる。うちの母が生まれたときは、原爆ドームは原爆ドームではなかった。

私たちの世代が生まれた瞬間から、その程度の短い時間を巻き戻すと、それらの、想像しがたい、とんでもない時代になる。

太平洋戦争は、私たちにとっての平成元年くらいの50代くらいのおじさん・おばさん世代にとっては過去のものではなく、完全に現実だっただろう。焼け野原の東京をその目で見ている人たちがそのへんにたくさんいたし、戦場でアメリカ人を殺した人もたくさんいたのだ。

そしてそれは、そのくらい近くにいた人たちが、成り行きはあれど、ああいう戦争を運用していた、ということで、何が言いたいかというと、いろいろ反省したり平和を標榜したりするけど、決してまだ人類は殺し合いをする癖から脱しているわけではないだろうということだ。実際にまだ殺し合っているし。

私たちはまだ、歴史的には戦争と戦争の間に生きているだけかもしれない、という可能性は常に持っておかないといけないよなあ、と思うし、第二次世界大戦なんてたかだか10年くらいで火がついて終わっているわけなので、戦争の悲惨さを反省するのではなくて、その短い期間でいかに人が狂ったかを検証して、狂わないように気をつけるというのが必要だと思う、が、戦争というものは悲惨さだけでプロモーションされる傾向があって、それはそれで危なかっしい感じがする。

インターネットの登場という大きな変化が、人間の戦争グセを止めることができている可能性もあるが、どうなのだろう。

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!