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1104「英語学習不要説」

今日は、今年の春先にLAでいろいろ一緒にやっていたテクニカルディレクターの人がニューヨークに来ていたのでお昼に飯を食いながらキャッチアップした。書いたか忘れちゃったが、金曜日に、結構将来につながる重要なミーティングで失敗してしまったのだが、捨てる神あれば拾う神ありで、これはかなり良い未来につながりそうな話ができて良かった。ソーシャル病に苛まれている場合ではない。短い人生なので、ちゃんと前に進まなくてはならない。

これはちょっと仕事の話になってしまうし、あと20日くらいでこのうんこ日記に終止符を打ったらやろうと思っている、仕事に関する書き物で書いたほうが良い可能性がある内容だが、まあ、もっと汎用的なことでもあるので、とりあえず書いてしまう。これは、仕事に絡む内容にシフトしていくための素振りであり、スパーリングだ。

日本人が海外で仕事をする上で障壁になるのは間違いなく英語だ。少なくともアメリカにおいては英語だ。逆に言うと言葉の問題さえ超えてしまえれば、少なくとも私の周りにいる優秀な日本人の方々は、アメリカで付き合いがある人たちに劣らず真面目で時間を守り、責任感もあって、頼れる人たちなので、要するに彼らが英語をしゃべれたら何も問題なく世界の第一線で活躍できるはずだ。これは間違いない。

私は海外で仕事しているし、かれこれ6年もニューヨーク在住なので、担当する持ち場によってはストレスなく仕事をすることはできる。営業さんとか、込み入ったコミュニケーションをやらなくてはいけない立場として動くのは相当きついが(日本語だと無理やりやってしまえるのだけど)、お客さんから要望を聞いたり、チームに指示を出してプロジェクトを動かすのはまあ可能だ(私の場合、技術監督業をやっていて、ある種「判断業」でもあるので、業務上の判断ならストレスなくできる)。

じゃあ英語が流暢かというと微妙なところで、細かい会話では全然苦労する。発音で伝わらないことも多いし、たとえば今日ミーティングしていた人は、前半概ね、協業していた人の愚痴を言っていたので、ハイスピードでけちょんけちょんにいろいろ言う展開になっていて、相槌を打ちながら、内容についていくのがやっとだった。こういう場合は、断片的に理解して後で組み合わせて流れを理解して、「つまりこういうこと?」なんて言って自分の理解を整理して伝えて、「そう」だの「違う」だの言ってもらうのが私のテクニックではある。

そして思うのは、英語も含めた外国語なんていうものは、もう本当に何年もかけて鍛える筋肉ベースのもので、私みたいな凡人にとっては、時間と環境をBETしないと得られるスキルではないということだ。

そんなわけだから、海外に移住して仕事をすることを相談されたり、そういう話を日本の方とするとき、「すごい興味あるんですけど、英語が・・・泣」という人がいるのはとても理解できる。仰るとおりで、言葉の問題はひどく高い壁に見えるし、正直実際に高い壁だ。

で、実際海外にいると、英語だけじゃなくて中国語やスペイン語でもコミュニケーションを取りたくなる局面はたくさんある。何年あっても足りない。

そう考えたときに人は絶望しがちだが、私は実はそうでもないと思っている。私たちはここに来て、機械学習なりが急速に発展して、機械翻訳のクオリティが加速度的に上がっている世の中に生きている。

もちろんまだまだ誤訳もあるし不都合もあるかもしれないが、今まではガチでしゃべる以外にコミュニケーションの方法がなかったのに、今ではポケトークとかの自動翻訳機を使えば中国語でのコミュニケーションとかもできてしまうのだ。そういう選択肢が存在するだけ、素晴らしい時代であるとも言えると思う。

逆にもう、英語の学習とか不要なのではないかとも思う。別にポケトークの宣伝ではないが、ああいうものをみんなで使って、世界中があれを使ってコミュニケーションするようにしてしまってコミュニケーションの前提にしてしまえば良い気がする。

会話のテンポは落ちるが、その代わり言いたいことを簡潔に翻訳させる練習をすればいい。つまり、英会話の学習は10年超かかるかもしれないが、「翻訳ソフトの上手な使い方」をめっちゃ練習すれば、全然短い時間で10年英語やった人に近いパフォーマンスを出せたりするのではないか。しかもそこに他の言語もついてくる。

とかいつも思っているし、実際言っているわりに私は翻訳機を持っていないので、机上の空論だが、「翻訳ソフトの上手な使い方」を極めて本でも書いたら結構社会に良い作用をもたらすことができる気もする。

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