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0525「『続き』がある場所」

設営とかなんとかでバタバタしているうちに海の向こうでは、夏場所ももう終わる。優勝を決めた朝乃山や、大関復活を決めた栃ノ心のことが話題だ。栃ノ心は年齢的には力士としてはかなり高齢だが、結構ここからな気がする。大関になってからの彼はフルスイングできていなかった。昨日のあの微妙な差し違えのメンタルダメージはやばかっただろうから、どうにか復活を決められてよかったなと思う。そんな中、私が注目していたのは相変わらず照ノ富士だ。元大関として初めて幕下以降で相撲をとっている照ノ富士は、先場所の全勝優勝の結果、序二段から三段目に上がって(三段目以下は、全勝すると必ず上の段に上がる)、今場所は三段目の上のほうだ。照ノ富士については、「ちゃんと休んだのは稀勢の里と対称的に良かったんじゃなかろうか」ということで先場所の終わりらへんで文章を書いた。

で、今場所は勝ち越しがかかった四番目の相撲で星を落とし、全勝はできなかったが6勝1敗で、たぶん来場所は幕下の50枚目台に上がるのだろう。本人はまだまだ「練習中」みたいなことをインタビューで言っているみたいだが、そもそも大関に上がった頃はめちゃくちゃ強かった力士だ。このペースで勝ちを重ねていけば、最速で今年中に十両に戻ってくることは考えられる。上の記事で言及した琴別府は十両から陥落して、序ノ口で再起してから10場所で十両に戻ってきている。今の土俵にも、琴別府と同じようなルートで幕内に上がっている竜電という力士がいて、この人も序ノ口まで落ちたが、幕下らへんで結構足踏みした。竜電は今場所は前頭五枚目で、今日の時点で9勝で、栃ノ心は大関に戻って他の三役は入れ替えになるので、あと1勝すると小結になれるかもしれない。そうなると、たぶん十両から序ノ口まで落ちて三役になった初めての力士になるのではないか。

みたいな情報は私の場合、中学時代から蓄積した相撲知識と、唯一無二の神ブログである「大相撲データアナリストの大相撲日記」から得ていると言っていい。外国にいるので、わざわざ相撲雑誌は読んでいない。この「大相撲データアナリストの大相撲日記」にも、「元関取の序二段以下からの復活劇」という素晴らしすぎる記事が存在する。先場所の照ノ富士の復活のときに書かれている。

これを書いている方は、本当に尊敬に値すべき人であり、ブロガーというならば、尊敬に値するブロガーだ。しっかりした経験と知識とデータに基づいた説得力のある骨太な相撲記事をリリースし続けてもはや779回。ここに広がっている冷静な相撲愛と、相撲ファンにとってかゆいところに手が届いている情報供給というか、「そうなんだよ。俺はその話がしたかったんだよ」的な「わかってる」感が半端ない。

たとえば昨日、東幕下2枚目の琴鎌谷が勝ち越したときの記事がこれだ。というかこの人は昨日今日で6つも記事を書いている。しかも全部密度が濃い。半端ない。やばすぎる。

「鎌谷」って言ったら、中学時代に穴が空くまで前相撲人名鑑を見まくっていた私からすると、元横綱琴櫻の本名であって、確か琴櫻は十両に上がるまで「鎌谷」で相撲を取っていたはずだ。というか琴櫻は私が生まれる2年前に引退しているのでさすがに実感としてはないのだが、当時、昭和40年代の相撲雑誌を古本屋で買い漁って読んでいたので、実は琴櫻とか三重ノ海とか輪島とかが現役だった頃の相撲雑誌は結構読んでいる。ので、なんとなく覚えている。

で、琴鎌谷は言わずもがな、琴櫻の孫であって、琴櫻の婿養子である琴の若の息子だ。三世力士だ。私も毎朝起きて、取り組み結果をスマホでチェックして目で一通りスキャンするが(地球の裏側に住んでいるのでリアルタイムで相撲を見ると死ねるのだ)、「あ、琴鎌谷勝ち越したじゃん」って思ってすぐに「じゃあ琴の若継ぐのかな」と思った。相撲ファンというのはそんなことをいつも考えているのだ。で、そう思ったらすぐにこういう記事を出してくる。「わかってる」としか言いようがない。

で、私としては、「これが理想のインターネットですよ」ということだ。相撲ブームっていうのは波があって、若貴時代みたくものすごいメジャーになる場合もあれば、そうでもない場合というのがあるが、このレベルで相撲のことを考えている人というのはやはりコアファンというべきで、コアファンの中にこういう丁寧で愚直な発信者が出現して、「わかってる」を共有していく。こういうことがいろんなところで起こる。

中学生のとき、相撲のことを突っ込んで話せる友達はいなかった。ので、ずっと1人で相撲雑誌を読んでいた。それ以後、いろんなものに「ハマった」が、いつもそんな調子で、いつも1人で興味を掘り進めていた。雑誌を読み終わると寂しかった。

ところが、インターネットが生まれてしばらくすると、自分と似た興味を掘って表現している人がたくさん現れた。相撲の場所が終わっても、競馬の大レースが終わっても、マリア・シュナイダーの新譜が出ても、インターネットでは、それらの「続き」を読めたし、みんなが「続き」をつくっていた。いろんなものの「続き」があるのがインターネットで、それが一番インターネットの楽しいところだし、こういうインターネットに救われた人はたくさんいるはずだ。インターネットのせいでトランプは当選するし人は死ぬし、バカが金持ちになって賢者が貧乏になったりしたりもしているが、「大相撲データアナリストの大相撲日記」みたいな「続き」のインターネットがあるからインターネットというものを憎むことができない。インターネットには、バックギャモン世界選手権について語り合える場所すらあるのだ。インターネット最高だ。

インターネットヤミ市の2回目で、菅原やすのりさんが歌っていた「インターネット最高、淫乱でも純情」みたいな歌詞の曲が去来して、懐かしくてネットを探したがどこにもなかった。あれさえどこかにあればインターネットは完璧だったのにと思う。

みんなにも読んでほしいですか?

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