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0102「移動不要という落とし穴」

この感覚は、ずっと日本国外で過ごして来たから持つものなのだと思うが、日本で普通に過ごしていると、驚くほど海外の状況というのが情報として入ってこない。

言語の壁とかはもちろんあるにせよ、もともと市場的にも文化的にもガラパゴスでやっていけてしまいがちなのが日本という国ではあるので、放っておくと国外の情勢をスルーして生活してしまうのはわかるのだが、怖いのが、私もアメリカに移住するまではそのことにあまり気づいていなかったということで、国外に出てはじめて、自分がいかに国際的な情報に触れて来なかったかを知ったということだ。つまり、日本で生まれ育っている多くの人々が、海外の状況にキャッチアップできていないことに無自覚だというのはまあ怖い話でありつつ、事実だ。

8年ぶりに日本で正月を過ごしていて、実家でテレビをつけていると、まあこれは至って平和な懐かしい日本の正月で、芸能人を格付けしたり、コンビニの食品を品定めしたりしている。

そんな中、毎朝、CNNとABCのニュースをポッドキャストで聴くということをやっているのだが、聞いている限りアメリカは大変なことになっている。COVIDの影響もあって、ここのところずっとサプライチェーンがバグっていて、物が流通せず、インフレがすごいらしい。オミクロン株は完全に蔓延していて、2021年の最終週でアメリカの感染者数の新記録を更新し続けている。子供の入院者数も増えている。もう、ワクチンどうこうではなくてそのへんの人たちがみんなオミクロンにやられていて、ニューヨークでは地下鉄の職員の多くが罹患して地下鉄が止まるわ、警察の人たちも何割か休んでるわ、クリスマスからこのかた、航空会社の人たちもみんな罹患してしまって飛行機のキャンセルがすごいことになっているらしい

さらには先日の記録的なトルネード被害以来、異常気象が続いていて、ここ数日はコロラドの山火事がえらいことになっている。コストコが山火事で燃えたとか。と思ったら今度は記録的な大雪が迫っているとか。山火事問題はここのところ、アメリカに限らず毎年大変なことになっているように思える。

そして、銃による不幸な事件はアメリカの慢性的な病として数日おきに発生する。それも変わっていないらしい

いずれにせよ、私は今物理的にアメリカにいないので、ニュースを聴いていても「〜らしい」ということになって、実際にそれを体験しているわけではないので、現地の感覚があんまりよくわからない。例えば、たぶんニューヨークでは、あまりにも経済が止まってしまうので、感染者の隔離期間が10日から5日に短縮された、みたいな話もあるし、ニュースでも南アフリカでは既にオミクロンがピークアウトして死亡者数が全然増えていない件とかに言及しているので、現象的にはえらいことが起こっているけれど実は現地の人々は結構楽観的なんじゃないか、とかそのへんがよくわからない。

少なくとも、タイムズスクエアの年越しの中継とかを見ていても、みんな全然マスクしてないし、そんなに深刻な感じになっていなさそうにも見える。そのへんのムードというのは、どうしても現地にいないとわからない

その代わり、日本の空気というのもいないとわからないもので、久々に日本で過ごしているからこそ理解できることもある。最たるものが冒頭触れた、「驚くほど海外の状況が伝わってこない」という感覚で、改めて、日本という国は良くも悪くも鎖国体質だなあというのは、なんか知っていたけど体験してみると、ああここまで伝わってこないのか、と身体で理解することができる。

アメリカに比べても、韓国とか近くの国に較べても奇跡的なレベルで人口に対してのCOVIDの感染者数が少ない国なのに、年中行事は結構自主規制的にキャンセルになっているし、年が明けて近所の神社に初詣に行っても、例年は30分くらい並ぶものだった気がするが、全然並ばずにお参りできてしまったり、いつもは多くの人が焚き火を囲んで甘酒飲んでたりするものだったように思うが、誰もそんなことしてなかったり、もちろん全員マスクしてたり、というような状態を省みると、ああこれだけみんな真面目にやっていたらそりゃ感染者増えないかもなあというのは、アメリカの人々のわりと不真面目なスタイルを考えると相対的に理解できたりする。

一方で、プラスチック素材による過剰包装に対する屈託のなさなんかは目につく。うちの子供たちなどはアメリカで育っているので、コンビニでプッチンプリンを買っても自分で「スプーンいらないです。袋もいらないです。」なんて言うほど、脱炭素教育がしっかりインストールされている。そのくらい、アメリカでは社会全体でのそこに対する意識は高いと思うが、日本で普通に暮らしているとプラスチックごみがじゃんじゃん出る。そのへんも実際に過ごしてみないとわからないものだなあと思う。そこでわかることは、日本での意識の低さと、アメリカのそういうものに対する意識や危機感が意外に高いということだ。両方体験しないと相対的に理解できない。

結果としてここ最近体感的にわかったことは、いろいろな環境に身を置くことで、いろんなことを相対的に理解するのが重要ということで、アメリカにずっといるだけでも、日本にずっといるだけでも、それをする上では不十分だということだ。そして、いろんなことを相対的に理解できないと、自分がどういった立場で何をすべきかがよくわからない。

どこにいてもリモートで仕事ができるようになって、移動の必要がなくなってきているのも事実だし、パンデミックが終わっても海外に出張するような機会というのは減るだろう。しかし、やはりそれが進むと人間の感覚や立場の流動性は減っていって、人間社会は良くない方向に行ってしまうような気がしてならない。この「移動しなくても良い感じ」はパンデミックで人類が獲得した重要な感覚であると同時に、大きな落とし穴にもなってしまうような気がしている。

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