流れる広告への思い
スマホを見ていると様々な広告を目にします。
例えばポイ活アプリなどを使用している際には、途中に広告の動画が流れてきます。
(具体的なアプリ名や広告については触れません)
ポイントを得ようと能動的活動を行う際に、途中で強制的に動画が流れ始めます。
基本的にはスキマ時間で操作し、ポイントをゲットしたいという動機なので、広告は見ません(正確にいえば見たくありません)。なので広告が流れている間は別な作業を行ったり、あえてディスプレイを見ないようにしています。
その理由の1つに見たくもない広告によって時折こちらの感情が動くからです。それも購買衝動ではなく、僅かであってもマイナスの感情が生じるのです。それは不本意です。
このような現象が起こるのは、どんな広告に対してかというと、
例えば、
美容系のクリームやジェルなようなものの広告の場合で、
その商品の質感、粘り気や色、などを映像で伝えたいのはわかるのですが、商品が入っているポットから、入っている商品自体のその大部分を片手で救いとり持ちあげる、という広告。
一般的に消費者が使用するような量から大幅にかけ離れた量を取り出している様子に嫌な気持ちが発生します。
言語化するなら「もったいない」、「下品」ということになりましょうか。
『自らが売りたい商品を大切にしていない』ということが言語化としては相応しいかもしれません。
それでいくと、パウチ状のパッケージに液体が入った美容・衛生商品の広告において、
液体であることを示したいのか、色や質感を伝えたいのでしょうが、「パウチを開封して、手で握りつぶして、液体が溢れ出て周囲にこぼれていく」という動画を目にします。
これは非常に不愉快です。
上記の広告のように『もったいない』というのもありますし、やはり『下品』で自社の商品に対する愛を感じません。
液体であることやその質感を示したいのなら、コップやビーカーのような容器に注げば良いのではないか、それを何故に握りつぶして飛び散らすのか。
過激な演出で観ている者の興味を得たいのでしょうか、私にとっては購買意欲(そもそも全くありませんが)が削がれる以外の何物でもありません。
さらに企業側からはパラダイムシフトといったことを言いたいのでしょうが、
『本商品を使うことによって、従来用いていたアイテムが必要ありません』
といった趣旨を伝えたい文脈で、従来のアイテムを破壊してゴミ箱に放り込むという映像があります。
この暴力的な行為は、本当に不愉快以外の何物でもありません。
これだけの印象を私が受けている時点で実は広告としてはインパクトを与えるという視点で成功していると言えるのでしょうか。
私にとっては、商品に対しても企業に対しても、マイナスなイメージしか持たないので『商品を売りたい』という意図とは真逆の効果となっていると思います。
あとゲームの広告で、ゲームの映像とはいえ流血やグロテスクな光景やショッキングな映像が出されることにも抵抗があります。
さらには漫画。
時折アプリで漫画を読むこともありますし、流れる漫画の広告で『ん?面白いかな?』という思いが全くないわけでもありませんが、同じ広告が流れる回数が半端なく幾度となく流れると、もちろんそのコンテンツ自体には罪は無いのですが、『またか…』と思い始めて、次第にその作品自体にも好意的では無い印象が生じ始めます。
いつも思うのは、この漫画の作者はどのように思うのだろう?ということです。
どういうことかというと、広告が流れることでそれを目にした人に作品を認知してもらえる、という効果があるのでしょうが、余りに目にし過ぎることで読もうと思う動機が削がれる可能性があることについてです。
『読んでみたいな』ではなく『しつこいな』と思われて読まれなくなるなら、そもそも広告を出してもらいたい思えたでしょうか。
アプリ内で流れる広告については、テレビやYouTubeなどと比べると、いまはまだ規制もなされていないのか、あるいは緩いのだろうと推測されます。
それがゆえ実験的な、チャレンジングな内容に踏み込んでみているのかもしれません。
高い費用対効果が生じることを考えて様々な演出がなされているのでしょう。
上記のような広告に対して、確かめたことはありませんが、ひょっとすると実は好意的な印象を持つ方が多く、私はマイノリティなのかもしれません。
しかし再生を続けざるを得ない状況で一方的に流れる広告に、目を逸らしたくなる内容が含まれている、それも少なくない割合で、と感じている人がいることは事実です。
少なくともわたしにとってはそうです。
一方、生活の中では感動や嬉しさを誘発するような素晴らしい広告も多く目にします。
短い時間で情動に訴えかける要素が凝縮された広告という世界はとても好きです。
それがゆえ、不快感を感じるものに対しては残念となります。
以上、とりとめもない雑感でした。
おしまい
最後までお読みいただきありがとうございます。 いただいたサポートは麦チョコ研究助成金として大切に使用させて戴きたいと思います。