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YOUは何しに北朝鮮へ #10 Now We are in the history#3

「北岡さん。我が国の音楽好きでしたよね」。案内員が目をいたずらっぽく輝かせていた。

「何か企んでるな」。頷くと「銀河水(ウナス)管弦楽団の公演見たいですか」。もったいぶった口ぶり。「聴きたい。聴きたい聴きたい聴きたい!」と叫ぶとにやりと「5千円追加ですけど…」。「出す!」「案内員2人と運転手さんの分のチケットも…」「出す!出す!絶対出す!」。「承知しました」。案内員はどこかに電話をかけ始めた。

 2010年10月のことだ。既に平壌は冬の空気を孕んでいた。万寿台の金日成主席、金正日総書記の銅像の近くで、ぼくに銅像に捧げる花を売る女性のチマ・チョゴリの生地の薄さに少し心が傷んだ。

 金正恩委員長の公式デビューは2009年9月末のこと。そのわずか2週間後の平壌。見学先で流暢に、まさに立て板に水、淀みなくその見学地の謂れを話す案内員たちに金委員長の件を質問すると沈黙した。まだ外国人向けの模範回答が準備出来ていなかったのだろう。

 銀河水管弦楽団とは当時北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国を代表する楽団だった。しかも前から6列目の中央席。これで3人で5千円は安すぎる。「運転手さんの分が用意できなかったのが悔しいなぁ」と案内員はボヤいていた。「それな」。寡黙で実直な運転手さんとも見たかった。

「銀河水管弦楽団を見た外国人は北岡さんが初めてです」。「周りにいるのはみんな朝鮮労働党の幹部ですね」。運転手さんの話題の時とは一転、案内員は得意げに話す。これについて帰国後在日コリアンの複数の方に聞いたところ「案内員が言っていることは正しい」との回答を得た。日本人初、外国人初、下手すれば在日コリアンを合わせても初かも知れないとのこと。

 公演が始まる。

「親愛なる指導者金正日同志と、尊敬する金正恩青年大将同志の配慮で行われる本公演は…」。アナウンスが流れた。案内員と顔を見合わせた。「尊敬する金正恩青年大将同志…。言ったよね。今、そう言ったよね」。案内員もぶんぶんと首をふる。「聞きましたね。今、聞きましたね」。ふたりとも大興奮だった。

 公演の内容についてはまた別の機会に述べるとして、こうして金正恩時代の出帆をぼくは平壌で迎えた。

 新しい指導者に対する案内員たちの沈黙。そして「青年大将同志」という尊称。この尊称は早い段階で姿を消した。幻の尊称と言ってもいい。生で聞いた衝撃は相当のものだった。

 公演後「北岡さん、もってますねぇ」と案内員は笑った。「どこで習ったんだよ。『もってますねぇ』なんて」と笑いながら、ぼくの手は震えていた。

 空港で別れる時に思わずぼくはつぶやいたのだ。「しばらく平壌はお腹いっぱいだなぁ」と。案内員が少し変な顔をした。お腹いっぱいという表現はわかり難いと言い直した。

「帰国したらしばらく平壌には来ないと思う」。「楽しくなかったですか」。心配そうな顔をする案内員に言った。「いや楽しかったんだ。むしろ楽し過ぎたんだ。でもあんまりにも色々なことが起こりすぎたんだ」。ぼくの疲れ切った顔を心配そうにのぞき込む案内員に精一杯の笑顔を作ると、出国ゲートに向かい進んだ。

 金委員長のニュースを見ると今でも複雑な感情が沸いてくる。ことばにするのは難しい。贔屓ということばが近いだろうか。平壌で「青年大将同志」というアナウンスを聞いてからの紆余曲折、米朝首脳会談も、南北首脳会談のニュースを見ても、ぼくはいつも金正恩時代の始まりを思い出す。

 10月の平壌の冬を孕んだ空気。万寿台の薄手のチマ・チョゴリを着た花売りの女性。「尊敬する金正恩青年大将同志」というアナウンスとその興奮と共に。

 爾来、人にとってどこか大事なスイッチが切れた嫌な大人になってしまった。例えばラグビーW杯の快進撃に対しての「歴史的快挙」ということばに鼻白む。「ワンチーム」「東京2020」と描かれた大旗を靡かせ人々を一体感へと交通整理するような流れから冷笑し離れて行く。

 自らの人生に対してどこか捨て鉢で斜に構えてしまう。「歴史の瞬間」を人生の長さの割に多く見ることが出来たことに、これくらいでぼくの人生は十分かも知れないという諦念が、夏の朝目覚めた時に身体にいやらしくまとまとわりつくシャツのように身体から離れてくれないのだ。

 YOUは何しに北朝鮮に?ようやくこの問いへの答えにたどり着いた。

 捨て鉢になりがちな人生を矯正するため。また何かこれまで以上の歴史のみずみずしさを感じるため。自分も現在進行形の歴史の登場人物であることを再確認するため。

 これからも北上の旅は続く、のだ。 

■ 北のHow to その33
 
Jim Rogersは北朝鮮への投資の魅力を折に触れて話しますが、投資が本格化する時には北朝鮮は今の北朝鮮ではなく、その時平壌にはスターバックスがあり、マクドナルドがある世界の一都市に成り果てる気がしてなりません。行くなら今、北朝鮮らしい北朝鮮を感じるのなら、一秒でも早く見て欲しいと思います。 

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