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民主主義の果てと、インターナショナル

 アメリカ大統領選挙が混迷を深めている。僅差というだけではなく、訴訟合戦に「投票箱を開けるのをやめろ」と現職大統領が言う始末。

 ショーウィンドーには板が貼られ、自衛のために銃の売れ行きが激増したという。これが民主主義というのか。自由の成れの果てというのだろうか。放縦ということば通りの混乱がアメリカを、世界を動かしている。

「社会主義ただ一筋に」(사회주의 오직 한길로)「社会主義前進歌」(사회주의전진가)「社会主義を守れ」(사회주의 지키세)。ここ最近の北朝鮮の流行りの歌、公演で歌われるタイトルをあげて見た。

 社会主義!

 2010年の秋。平壌の真ん中、金日成広場でぼくはひとりため息を吐いたのだ。本当にここは社会主義の国なのか。それはどれだけ残っているのかと。

 例えば苦難の行軍と呼ばれたあとの配給制は機能しているのだろうか。個人的には、今の姿はセーフネットなき資本主義ではないかという疑念が頭をもたげるが、この辺りの綻びを決してぼくたちに見せようとはしない。

 若い在日コリアンの女性とこんな話をした。「あなたの祖国である北朝鮮は除いて、どこか行きたい国ありますか」と。彼女は少し考えて「ロシアかな」と答えた。

 「ロシアの音楽が好きなんですよね。インターナショナルのロシア語版とか、本当にヤバいじゃないですか」

 ぼくは大きく頷いた。ロシアの国歌、インターナショナル、ロシア語が分からずともあの旋律と歌声は心に響くのだ。異国の旋律の魅力は心を離さない。

 金日成広場で1時間半、ぼくは思索を続けた。いったいこの国はどんな国なのだろうか。案内員はぼくを持て余したか、ひとり広場の真ん中に放っておいてくれたのだ。ぼくはゆっくりと広場を歩き、時々カメラを向け、路面電車の曇ったガラスの向こうの市民に小さく手をふった。まだこの広場にレーニンの肖像画はあったのだろうか。今は確かなかったはずだ。

 数日後の夜、銀河水管弦楽団の公演をぼくは見た。インスタルメンタルの、インターナショナルが流れた。

 その時、ぼくの眼から涙が流れたのだ。断っておくがぼくは社会主義者ではない。つつと涙が一筋頬を濡らしたのを案内員は気づいただろうか。

 この国は(深層はともかく)、社会主義国であることを標榜している。世界でも今や貴重になった(ちょうどぼくが中高生のころに、ソ連は崩壊し、東欧は民主化が一気に進んだ)社会主義国の真ん中で、ぼくはインターナショナルを聴いている。この事実に涙したのだ。

 今、歴史の教科書の中でしか知らなかった、社会主義国家のまんまん中にぼくはいる。その感動がぼくの眼から涙を流したのだ。この先歳を重ね、世界から社会主義が消え、ただの遺物となったとしても。今やそうなりつつあっても、ぼくは社会主義国の真ん中で「インターナショナル」を確かに聴いたと。誰にこれを誇ろうか。

 この国を代表する楽団のインターナショナルの演奏が響く。人生最高のライブとは何か。演目は何かと聞かれたら、ぼくはこの時のライブと、インターナショナルを挙げる。既に周回遅れ、世界から消え去りつつある、けれどかつてもてはやされ、世界を二分したイデオロギーの残り火の熱さを、ぼくは肌で感じたのだ。最高峰の演奏に目をつぶった。涙は止まった。ああ、とぼくは深くため息を吐いた。

■ 北のHow to その95
  重ねて言いますが、ぼくは社会主義者ではありません。かといって、今のアメリカは行き過ぎであるとも感じています。
 北朝鮮に行く前に「インターナショナル」を聴き、覚え、時に歌えると面白いことが待っている気がします。この歌ひとつであっけなく連帯出来てしまうのかも知れません。

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サポートいただけたら、また現地に行って面白い小ネタを拾ってこようと思います。よろしくお願いいたします。