雑記:2017年8月30日

今までの人生で一番長く感じた8月が終わろうとしてる。

年に一度か二度会うくらい、でも会うと久々な気がせず気の置けない友人、というか親友と呼ばせて欲しい存在。
専門学校で出会ってなんでもう24年の付き合い。
そんな彼の「不在」が「有る」ということにまだ戸惑いがある。

いろんな話したしいろいろ助けてもらったし喧嘩もした(喧嘩というか一方的にやられたw)し、いろんな思い出がある。
でも今ふっと思い浮かぶのは、みんなの一番前で手を仰ぎながら「みな、次行くでえ」と声を上げる姿。
多分呑み会の席とかでよくやってたんやろなあ。
その姿のまま、ホンマに先に、みんなより先に次へと逝っちゃった。

親より先に逝っちゃうなんてホンマに親不孝やし、綺麗な奥さんとか残された3人のお子さんの事を思うと嫁不幸やし子不幸やし。
でも昨年末に倒れてからずっと自分の体に次々とやってきた困難に前向きに立ち向かい続けた8ヶ月。
その最後に残した家族写真の笑顔が最後まで彼が良き父親であり良き夫であり、だからこそ自慢の息子だった証なんやろなあと思う。

彼が病に倒れたことを知ってから、普段そんなにしょっちゅう連絡を取り合ってた訳ではない仲間としょっちゅうああでもないこうでもないとラインを飛び交わせ、飲み交わしながら話をした。
何年ぶりかに会う友達、ホンマに15~20年ぶりとかに会う友達。
そんな人と人を繋ぎ直してくれた本人は俺らの真ん中にずっといた。
彼やからこそこんな風にみんなで集まれたし、また昔と同じように笑える仲になれたんやと思う。
昔と違うのはその真ん中の不在。

今はまだ慣れない「不在」。
俺らはそれを忘れるのではなく、それに慣れていくのかなあと思う。
「不在」が「有る」ということ。
それもまた心に刻みながら残った俺らは生きていく。
それはポッカリした空洞みたいなものでなく、気持ちを入れれる余裕のある隙間みたいな感じ、かな。

俺の8月最終日は半年ほど前から楽しみにしてたイベント。
ありがたい事にソールドアウト。
明日は楽しむのだ。
豪君もそこで観てておくれ。
みんなにとって長く感じられた8月の最後の日を、みんなが生きている姿を、みんなのこれからを、上の方から見守っててください。

ありがとう。お疲れ様。

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