怒ることに意味はあるのか。
こんにちは。ぷゆです。
人を育成する際に、怒ることに意味はあるのかな?と思う。
確かに基本的な部分で、分かっていないことは伝えるべきだと思うけれど、それを怒りで表現する必要はあるのだろうか。
怒鳴るわけではないけれど、ピリッとした空気感を作るという演出は必要なのだろうか。
痛い目を見て学ぶことは確かにある。
けれどそれは、人から怒られるというよりは、シンプルに失敗した時だと思う。
なので怒られて何かに気付くことは難しいのでは?と思う。
かといってディスカッションのみで分かってくれるような人ならば、怒る必要はそもそもないわけで、言ってもわからないから怒るしかないという選択肢になるのである。
できないことは、悪いことではない。
けれど仕事というものは、求められていることがあり、それに応えることでお金を生むという仕組み上、評価はつきものだ。
無意識のうちに人は人を評価してしまう。
仕事ができる人と、できない人は何に差があるのかな。
怒ったからと言って、その差が埋まるのかな。
もし怒って埋まるのならば、その差は意識の違いでしかなく、能力の差ではないということになるのではないだろうか。
それなら怒って意識をしてもらうことで改善する可能性があると思うのだけれど、能力の差である場合は、酷というか、何も生まないなぁと思う。
何が原因かを突き止めてから、怒るのか、他の方法で気付かせるのか、方法を考えないといけないなと感じる。
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