人間は綺麗か汚いか。
こんにちは。ぷゆです。
人間は綺麗か汚いか、どっちだと思いますか?
私は人間を綺麗とか汚いとかで見たことがなかった。
ある人が人間は根本的に汚くてクズだから、それを認めて生きていったほうが良いと言った。
私はそういう視点で見たことがなかったけど、どちらかと言えば綺麗だと思って生きてきたと思う。
本音を言えばどちらの面もあるとしか言いようがない。
けれど良いところも悪いところも認めたいというゴールは私も同じく目指すところである。
元々私の中にそういった概念がなかったが故に、私は自分のダメなところに中々自分自身で気づきにくい。
既に知っている点は気を付けて生きているが、やはり客観的に指摘してもらわないと気づけない部分がある。
自分自身が傷付きたくないからと、無意識に目を背けている可能性だってある。
それは私だけでなく、多くの人に当てはまることだと思う。
私は私の弱点を把握していたいので、しっかり言葉にして指摘してくれる人と一緒にいるけれど、大人になればなるほど、そういう人とはなかなか出会える機会がなくなるのではないだろうか。
そもそも何故自分の汚いところ、弱点を知るべきだと思うかというと、知らない人は他人を攻撃しがちだからだ。
自分の弱点を知らないフリや正当化する影響で、現実がねじ曲がっているように見える。
ねじ曲がった現実は他人を巻き込んでしまったり、もちろん弱点は弱点で変わらないので、本人自身が生きづらさを感じる原因にもなってしまう。
その正当化は必ずどこかにしわ寄せがいくのだ。
弱点を知ったからといって全てが解決するような、そんな簡単なことではないけれど、やはり知っているのと知らないのとでは大きな差があるし、分かっていて向き合えない人も、他人に言われれば向き合わざるを得ない状況になるかもしれない。
私は知らないことによって無意識に人を傷つけることはしたくないし、現実をねじ曲げてしまっている人に何も言わずに傍観していることもしたくないと思ってしまう。
私にとって他人の意見はすごく貴重だ。
私が生きてきた中で、それは常にきっかけをくれた。
人によって自分の汚い部分や弱い部分が受け入れられない人もいるし、指摘されることで傷ついてしまう人もいるかもしれないが、愛を持って意見を言ってくれる人には感謝しているし、私もそういう人でありたいなと思う。
私も含め、全ての人間は汚いということにしたら、自分の弱点も受け入れられるというのなら、私はいくらでも汚く生きようと思える。
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