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ナミビアの砂漠を観た


映画「ナミビアの砂漠」を観た。
主人公カナはとても破天荒で自由奔放、自分の感情に素直だなと思った。悪く言えば自己中心的。
子供っぽいけどどこか大人びている感じ。
劇中で脱毛サロンの後輩が言っていた「カナさんって追われるタイブっぽい」というのは本当にその通りで、カナの破天荒さと不安定さはどこか人を寄せ付ける力があると思う。

私にはカナのように破天荒な友人がいる。彼女は2年ほど前に結婚して母となった。
あんなにも自由奔放だった彼女が、妊娠が分かると酒とタバコを辞めた。人って変わるんだなあとか適当なことを思ったりもしたが、別にそんなことはない。
母となった彼女も、自由奔放に遊び歩いてた彼女も、どちらも彼女であり何も変わっていない。
人間だれしもが、社会で生きていく為の「大人」の面と、内に秘めている「子供」の面がある。
母として育児をこなしている彼女が「大人」だとすれば、旦那公認の彼氏を作って遊び歩いている彼女は「子供」だろう。そう、別に何も変わっていない。
彼女もカナも寂しいのだと思う。地続きの日常生活で満たされないような、子供的な欲求を満たしてくれる手近な存在というのが必要なのだ。
簡単に言うと刺激が欲しい、子供みたいに一緒にはしゃいでくれる人が欲しい、一緒に悪い事をしてくれる人が欲しい、みたいなもので、自ら悪い方へ足を踏み入れていってしまう。
要は一緒に堕ちてくれる存在がいると安心するのだと思う。無条件に幸福だと不安なのかもしれない。

物語の終盤で「父親はクソ野郎で死ぬべきだが、父親以前に1人の人間として接しないといけないし、許してあげるべきだと思う」というような事をカナは言っていたが、「こうであるべき」という自分の中の正義を信じて疑わなくなってしまうのはとても苦しいことだ。
それは自分自身の首を絞めてしまうし、時には他人に押し付けがましくなってしまう事がある。
何故カナは父親を許すべきだと思うのか?幸せな思い出もあったということ?私にはそれが理解できなかった。
カナは自分のことになると不誠実だが、他人のために一生懸命正しくあろうとしていて偉いと思った。
「自分の頭で考えられない人ばかり」というカナのセリフはとても印象的だった。
そんな人間で溢れた怠惰な世界に嫌気が差しているのに、自分は他の人間とは別だと思っているところがまた都合が良くて、子供っぽいところだなと感じた。だけど、そういう事を言いたくなる気持ち凄く分かるなあとか思ったりした。
カナのように破天荒でなくても、心の黒い部分を抱えている人間は想像している以上に沢山いるということ、みんな上手くバランスを保っているだけで、実際はとても脆いのだということ。
2020年代の病的な面にとてもリアルにフォーカスしている、そういう意味でナミビアの砂漠は良い映画だったと思う。
「エモい映画」という言葉で片付けないでほしいと思ったけど、カナが生きる2020年代の今ではエモいねの一言で片付けられてしまうんだろうなあとか思った。

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