過去2年のつまらない投稿を反省

直近2年間での自分のLinkedIn投稿について、見返してみて、あらためてなんとつまらない投稿だったのだろうか。と愕然とした。
気づいた点をつらつら記載してみる。

まず、英語だらけってなによ。

状況として仕方なく実施していたこととはいえ、やはり、英語だらけのコンテンツって何よっ・・・てところ。
誰を相手にしたいのさ。日本国内でのB2Bのマーケティングなのに。
だけど、これを実施している時、言い返すだけの英語力は私にはなかった。
マネジャーの勢いに押され、グローバルでのSNS研修を受けた。
内容は、ブランドのロゴを自分のLinkedInに貼り、自身が広告塔となって投稿せよ。というものだった。
日本として会社としてのアカウントを作るのではなく、従業員自らのアカウントでそれを個々に実施するようなトレーニングだった。
私はそれを役員にも推進して実行しなければならなかったが、推進内容を伝えても誰ひとりそれを実行する人はいなかった。(まぁ、今考えればそれは正しい判断かもしれない。)
しかし、私は実行した。責任感からだ。まず自らが実施しなければ誰もやってくれる人など現れない。
当然こうなると、個人の見解は投稿しづらくなる。おそらくそれが狙いな部分もあるだろうし、ブランドの統一みたいな部分でも見た目にはいいかもしれない。
しかしだ、なんのための[個人アカウント]なのか。
ご多分に漏れずダイバーシティを謳っていたが、よーーく考えるとそれは多様性を受け入れた状況なんかじゃない。
なんのための多様性なのか。訴えていることと、ルールで縛る内容がちぐはぐだということに離れてみて改めて考えてみてひっかかるところがあった。

思考停止

従業員に個人のアカウントでビジネスに関連する投稿を実施することは統制が取れている様に見えるが、力は逆に働いたように感じる。
私自身は思考停止に陥ってしまっていた。
今更ながら大反省。
そして最終的に、さんざんこうしろ、ああしろと指示していた人が実行させてうまくいかなくなった内容を私に指摘して、マイナス評価をし、私には自主性がないので任せる資格がないと判断された。
思考停止に自ら陥っていったという部分は当然あると思う。
突破するだけの能力と熱量が私にまだ残っていたならばそれはまだ機能したかもしれない。
しかし、すべて最初から英語で作成し、それを英語でさまざまな人がチェックして、最終的に翻訳がままならないままにリリースを勝手に配信されるような状況の中で、情報もない、自由度もない、直前で決まったという情報のみを渡されて前後の文脈なくこれをどうにかしろ。という環境の中で仕事をすると、こうも思考停止になっていくのだなということを改めてコンテンツを見返して気づく部分が多々あった。
傍目からはわからないかもしれない。
しかし確実に私自身の中には思考停止が起きていたのだなと、投稿されたコンテンツを読み返して気づく部分があった。

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自ら考えることの意味

過去、さんざん、自分で考えられる状況を作ろうともがき、なんとか形にするということを繰り返して今までやってきた自分が、気づかない状況でじわじわと思考停止に陥っていたことに後から気づいた。
起きることが起きて数ヶ月経って、離れてみてボーッと眺めたことで気づけた部分だ。
しかしこれは誰にでも起こることかもしれない。
私の場合はあるひとつの企業を離れたことによって気づけた部分ではあったが・・・私のようにあとから愕然とするよりも前に、置かれた環境を遠くから眺めてみて俯瞰して自分のことを見直してみることは、やはりとても大事なことだと思う。

想像している以上に思考停止状態にあることに気づけるかもしれない。

いやー・・・まいったw

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