見出し画像

一年の締めくくりは、珍しく僕(小林)が筆を取ることにした。


12/21に行われたbird 20th 記念ライブ。 本当にたくさんの方々にお越しいただき、ありがとうございました。 
僕の知り合いも東京からたくさんきてくれ、(年末だけに、ここが忘年会になった)とってもアットホームな空気感でした。
常連さんとスタッフのコミュニケーションも微笑ましいものが多く、もうすぐ三年の月日が経とうとしてるのをその風景からしみじみと感じました。 いいスタッフと、いいお客さんに囲まれてPurveyorsは成り立っているんだな〜なんて当たり前な事を当たり前に存在できてることに感謝の気持ちを身体中に巡らせた。

本当に、本当に、いい店になってきたな〜。 そんな独り言が何度も頭の中でリフレインしていた。

画像1

そうだ、ちょっといい機会(何が?)なので僕のことに少し触れてみる。 
僕という人間は昔からやりたいことが見つからず、漠然と映画監督になりたいな、とかミュージシャンになりたいな、みたいな夢なんかはにわかに描きつつもその精度はきっとイチローとかメッシとか福山医師(脳外科医の人)とか、何か、偉業を成し遂げてしまった人たちとは比較にならず低く、何かに影響を受けてはコロコロとその様相を変化させ、自分というアイデンティティーを一度も見出せぬまま歳を重ねてしまっていた。

そんな僕が、今こうして人から注目されるお店や、イベントを創出できているのも、またまた人生とは数奇なものだと思うわけで、いま振り返ってみてもどうしてこんな道を選んだのか、はたまた選ばされてしまったのか、本当に意味がわからないことの方が多いのです。 でも、周りにいる人に求められ、やがてそれが知らない誰かの願いに変わり、時代や世の中の流れに、ある種無理やりに動かされて今があるのかもしれないなと、たまに思うわけです。 一体、何が言いたくてこんな事を書いてるのか自分でもわからなくなったけど、自分の人生を振り返りたくなるくらい、birdさんのライブが良かったんだ。

画像2


多くの友人が、birdさんのライブを見て涙腺が緩んだと言っていた。 

そりゃあ、あの距離であのクオリティーのライブをみせつけられたら感動するよな、とか思いつつも、そのレベルを大きく超えていた気がする。 
実際、僕自身、何度もbirdさんのライブは仕事でお世話になっている分拝聴する機会が多いのだが、泣きそうになったことは正直この日が初めてだった。 

画像3

なぜ、あんなに感傷的になったのかをその夜、ずっと考えていた。 
僕だけでなく、僕の友達含めて多くの関係者が口を揃えてそう言っていた理由はなんなのか。

僕なりに出した答えがこうだ。

画像4


20年の歳月、それは勿論当たり前だが、birdさんだけの20年ではなく悲喜交交、一喜一憂を繰り返した僕らの人生でもある。  Liveの終盤、往年のヒットソングを連発してくれたbirdさんの歴史の集大成のような数分間を自身の人生と重ね合わせながら聞いた僕らは、様々な景色が浮かんでは消え、様々な感情が行き交い、干渉に浸ったのではと。


画像5


その20年は、きっと、平坦な道のりだった人は1人も居らず、今日この日を、この愉快な仲間たちと過ごすことが出来て本当に良かったと、挫けそうになったあの時、諦めなくて良かったと、心のそこからそう、思ったからなんだろうと。(やばい、書きながら涙が出てきそうだ)

画像6


僕は自身のクリエイティブでいつも心がけていることがある。 それはどこから切り抜いても、「映画の様な世界観」であること。 
映画の世界観、ではなく「映画の様な」というのがポイントだ。 
映画は作り上げられたいわば、嘘の世界の連続。 
僕らが得意としてるのはまるでその嘘のような映画の世界の連続をリアルな場で生むことだ。 
そんな自身のアイデンティティーとも言える、人生の柱がやっとこの歳で築かれつつあるのかもしれない。 

画像7


いまだ、いろいろな物や人に影響を受けては右往左往してる自分も、ちょっとずつ愛せるようになってきた。  そんなセンチメンタルな気持ちにさせてくれたbirdさんに、心の底から感謝と敬意を表したいと思います。 

20th 本当に、本当に、おめでとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?