エコヒイキをして生きる

贔屓(ヒイキ)されていると感じる事はある?

私はある。

そして私自身、相手によって非常に対応を変える人間だ。

こう表現した時、マイナスイメージを抱く人が多いのではないだろうか。だけど、これは当たり前のことだし、悪いことではない。

公平に接することが正義なのか

「平等」「公平」というと、非常に優れた印象を受ける。

なるべく先入観を持たずに接するのは大事だし、物事をフラットな目線で見る姿勢はあるべきだ。

一方に情だけで肩入れして、悪いものをよしとするのはいけないことだろう。

規律やルールなど自分以外の共通の尺度で物事を測ることこそ、人間の理性というもの。最初から自分の好みと偏見によって受け入れる気持ちを持たないのは、人間ができていないなと思う。

「気が合う」や「気に入る」はある

しかし、人には合う/合わないがある。

誰かを特別に囲いたいという気持ちも非常に人間らしいものだ。

そもそも「贔屓」が悪いもののように思われるのはなぜだろう。それはきっと、贔屓した際に損を被る人がいるからである。

例えるなら、就職活動がわかりやすいだろうか。

筆記試験の点数が同じで、面談でも明らかにAさんの方が会社に貢献する能力があるのに、贔屓によってBさんが選ばれたら、Aさんは被害を受ける。

Aさんは何も悪いことをしていないのに、悪い結果となってしまう。

なんと理不尽なことだろう。

つまり、私情を挟まずに公平な判断をするべき人間が、私情を挟む状況がいけないのである。

好きな人に甘いのは悪くない

普通に生きる上で、贔屓するのは悪くない。

もちろん、どうでもいい人への対応が杜撰になってしまえば、それは悪い…というか信用を失うだろう。

しかし、普通の状態をどんな人にも保ち、その中で特別気に入った人にだけプラスアルファの施しをする。これは誰からも責められることではない。

この状態で問題が起きるなら、それは贔屓されなかった人間の嫉妬である。

贔屓されている人間との対応に差は感じるだろうが、一般的な対応を下回っていないなら、文句を言う筋合いはない。

贔屓される人間だって、気に入られる努力をしていてその対価をもらっているととらえれば、それはそれで順当な結果なのである。

普通に生活している分には、私情だけで生きていていい。

誰かに損をさせない限り、自分の「好き」に身を投じていてほしい。

贔屓したくなるような人と繋がり、贔屓される振る舞いをして、win-winの関係をたくさん作ってほしいと思う。

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