嫌いが多いから生きやすくなった
嫌いな事が多すぎる。
そう聞くと「生きづらそうだ」と思うだろうか。
私はイヤなことを避けて通ってきたし、避ける術を身につけることに注力してきたため、実は現状とっても生きやすい。
もちろんそのプロセスが面倒だと思う人からすれば「生きづらい」状態には違いないけれど。
一番嫌なのは「イタい」こと
これは最も人間を人間たらしめる「プライド」によるものなのだが、「イタい」姿が自分に対しても他人に対しても許せない。
なんとも居た堪れない。
まあ、何故そんなに嫌なのかというと、私が非常に無頓着で何も見えていない子ども時代を送ったからだったりする。
イタい姿を見ると黒歴史が掘り返される思いがするというわけだ。
小学校中学校と確実に厨二だったな…と思い出す。
いじめっ子が寸止めのパンチをしてきた時に、笑って「おもしろいね!」なんて言ったのは非常にイタかった。
昔のことなんてほとんど忘れてしまったのに、妙なことだけ覚えていて困る。
つまり、格好つけたい
「大人ぶってわかった顔をしている」という意味では今でもずっと厨二かもしれない。
カッコ悪いのが嫌だし、当然ながら馬鹿にされるのは嫌だ。
憐れまれるのもごめんだし、見下されるのなんてもってのほか。
「あれもこれも嫌」という自分を誇りに思うこのプライドの高さが、私を生きやすい道へ導いた。
なんでも自分でこなすクールでかっこいい自分像に憧れているから、格好つけるために努力できている。
もちろんその努力は人に見せない。
涼しい顔で颯爽と生きたい。
過去があって今がある
どんなことも体験してみなければ好きも嫌いもわからない。
失敗も、してみなければそれが失敗だったとわからないのだから、まず行動から始まることは間違いないだろう。
恐れずいろんな経験をして、自分の気持ちと照らし合わせて生きる方向性を決めればいいのだ。
周囲に憧れてもいいし、反面教師にしてもいい。
私は憧れる姿が具体的で狭く少なく、反対に嫌いで避けたい姿が多いというだけの話。
「好きを大切にする」というのが求められがちだが、「嫌いを避ける」も必要なことだと思う。
いずれにせよ、自分が何をどう感じるのかきちんと向き合ってみると、確実に生きやすくなるだろう。
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