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幸せはひとりでは成し得ない

「幸せの形は人それぞれ」

こんな当たり前の言葉がありがたがられる。

そんなにみんな自分の思う幸せを否定されてきたのだろうか。

何をどう感じるかはそれぞれ

当然ながら、人間には個性がある。

好きなことも趣味も違えば、感じ方も考え方も違う。

他者の関わらないことであれば、いくらでも自分の思う幸せを謳歌すればよいだろう。

そもそも「これは君の幸せのためだ」とか他人によって与えられる”幸せ”に価値はない。

強いて言えば、それほど自分のことを気にかけ、考えて行動してくれる他者がいるということが幸せだ。

他者の関わらない幸せで言うと、

「美味しいものを食べる」
「好きなものを買う」
「好きなだけお布団で寝る」

といったところか。

しかし、人は社会的な生き物であり、基本的には自分一人で全て満足の「幸せ」になるのは難しい。

誰かの幸せを願う

これは何度でも言いたいのだが、「それぞれが自分の思う幸せでいい」の反対は「誰かに幸せになってほしい」と願うことだ。

人間は対等であって所有の関係にはないのだが、情や執着といった人間らしさの最たる感情によって「私のもの」と思い合っている。

その人の笑顔が、満足が、自分の幸せに繋がる。

そういった関係がつまり「友達」や「恋人」だし、赤の他人との違いだ。

自分は「思うままの幸せを謳歌するんだ!」と言いながら、友人にはあれやこれやと気を揉む。

家族ができれば、それまで自分が思い描いて実行していた”幸せ”も形を変える。相手の幸せを願い、行動を変える。

他者との関係が変われば幸せのカタチも変わる。つまり、「人それぞれ」なんてものではなくて「時と場合による」。

どこに幸せを見出すかを考える

もちろん、今ある環境に感謝して小さな幸せを見つけるのは大事だ。

そして、現状に満足せず上を目指す精神があるからこそ、より大きな幸せが得られるのもまた事実。

自分だけの目では自分の幸せを見つけられない。

かといって他者の言うままにしていれば、自分自身の幸せを見失ってしまう。

つまりどうすべきかと言うと、「自分の幸せは自分で決める!」という意思を持ちながら、友人の声にも耳を傾けていればよい。

納得すれば受け入れればいいし、納得しないなら変わらずにいればいい。

そしてこれは自分だけではない。

相手の幸せを思ってした行動が受け入れられないこともあることを念頭に置いておけば、憤慨することもない。

ここまでを理解して「幸せは人それぞれ」と言おう。

ただ思い通りになることではなく、全ての人が尊重されることこそが”幸せ”である。

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