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自分の立ち位置を知って幸せを測る

最近は少し余裕が出てきたのと、ある程度年齢を重ねてきたこともあって将来設計に時間を割くようになった。

私はテンプレどおりの「結婚して家庭をもちたい」という願望があるので、相応の年収なり環境が必要になる。

そして一般家庭の年収や生活ぶりを調べていて、少なくとも現状の自分がそれなりに恵まれた身分なのではないかと思い当たった。

自分のいる場所が基準になっている

人は良くも悪くも自分の人生しか知らない。

ドラマや映画、データとしての情報、友人知人の様子などいくらでも知識をつけることはできるが、実感できるのは自分の体験のみである。

そしてそもそも関心を持って調べたり話を聞いたりしないと、自分の納得感には繋がらない。

特に将来設計については、みんななんとなくぼんやりと考えているだけで、具体的にライフプランを立てるようになるのは私のように必要を感じてからだと思う。

なんとなく考える未来というのは自分が今まで生きてきた生活の延長であり、現時点で数年先のその未来を生きている人(結婚している、子供がいる、もしくは老後の生活を送る人)の実状とは異なる。

ましてや具体的な数字を出してまでずっと前々から考えていたという人は少数だろう。(世界は変わるのであまり早く試算しても誤差が大きくなるというのもある)

きちんとデータで自分がどのポジションにいるのかを知ることが、非常に重要だと思う。

自分の人生が大事?

日本は貧富の格差が広がっているといえど、恵まれた国だ。

個性が尊重され、努力次第で自分の進みたい道を行くできる。

「他者と違っていい」
「誰かと比べなくてもオンリーワンだ」
「幸せは人それぞれ」

これ!というみんな共通の理想像が徐々になくなり、他者と比較することでは測れない自分自身の幸せを追う時代になった。

確かに、なんでも上を見れば上がいるし、下を見れば下がいる。

頂点を目指していたらきりがなくていつまでも幸せになれないし、「自分が幸せならそれが幸せ」。間違っていない。

しかし、平均や相場、中央値というものがある。

幸せは測れないが、幸せを測るための要素はデータ化できるのだ。

資産状況が大きいかもしれないが、自由に使える時間はどれだけあるのかとか、自分自身の時間単価も重要。

自分の人生を謳歌したいと思うなら、数字を出して、世間と比べてみる必要があるだろう。

知った上で判断するのが幸せ

「自分は所属するコミュニティで一番優れていたけれど、世間一般と比べたら普通だった。」

これを知って幸せでなくなるのであれば、それは元から幸せではなかったのだ。

本当に幸せなら、誰かと比較した時に、「それでいい」と現状に満足できるはず。

もちろん、新しい世界を知って、高みを目指すというならそれはそれで良い。

しかし、ただ上(と本人が認識する)存在を知っただけで現状が不幸のように思うのは、比較してしまっているからだ。自分の幸せは自分の基準を持とう。

独りよがりでもない、比較した結果でもない、自分の幸せをどれだけ満喫できるかが人生の意味だろう。

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