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弱っている時は回復に努めるべきという当たり前

SNSなど個人の発信が見られる場に身を置いていると、日々の些細な状況・心情の変化を感じることができる。

色々な人がいるものだなと感心している。

もちろん一面的にしかわからない(あるいは嘘かもしれない)が、「こういった文章を書く人なのだな」とか「発信内容が不安定だな」とかなにかと感じることはある。

そして、最初からSNSを愚痴吐きに使う人はもとより、キラキラした投稿をしている人でもふと弱音を吐いていることが多い。

私がそういう界隈にいるだけだろうか?

いずれにせよ、頑張り過ぎて病む人が多いと感じる。

喜びも悲しみもあるのが人生?

つらい経験を一度もしない人間などいない。

「つらい」とこぼす人に対して「みんなだってつらいんだよ?」などと言う冷徹無慈悲な人はさすがに考えなしだと思うが、みんなつらいのは事実である。

「全て何もつらいことはないし、なんでもできるぞ!」という人はあまりいないわけで、もしいたとしてもそれはつらいという感情の扱いが上手いだけだ。

様々な壁を乗り越えて得られる達成感を身をもって知っているとか、最終的に成功する自信があるとか、努力する気力があるだけの話である。

もちろん、人によってつらいと思うことは異なるし、度合いだって違うだろう。

しかし、あまりに何事からも逃げてしまうような「つらい」の基準が低い人は、もう少し行動を起こすべきだろうと思う。

挑戦できる環境なら勇気をもってほしい。

みんな頑張っているから自分も頑張る。そういうものだろう。

自分の身が一番大事

みんなそれぞれつらいことがあるのは事実。そして対処法を身につけて頑張る必要があるのも事実。

けれど、それは生きる上での最優先事項ではない。

「努力して何かを得る」
「周囲と共同して取り組む」

これらは社会を成り立たせるために必要だが、各個人が社会の一部として機能できる状態であることが大前提である。

無理をして体を壊したり精神を病むくらいなら、周囲のことなど気にしなくてよい。自分自身のためだけに行動してエネルギーを蓄えるのが先だ。

自分の健康が保たれて初めて、社会に貢献できる。

自分とうまくつきあう

とはいえ、様々なことに気を配り過ぎて疲弊してしまう人というのはいて、時に判断を間違える。

疲弊した状態では判断力や決断力が鈍っているので、しっかり休養をとって頭がスッキリして視野が広い時に、自分のキャパシティを見直して対策や線引きを考えるべきだろう。

疲れてしまった時の対処として、気分転換する方法を4つ以上もっておくとよい。

私の場合は「寝る」「泣く」「友人と話す」「美味しいものを食べる」「欲しいものを買う」など。

筋トレなどスポーツや運動を挙げる人もいるかもしれない。

しんどくなったら、まずは気分転換。

そして「気分転換したからまた頑張ろう!」じゃなくて、しっかりと自分のためだけに行動するのが大事だ。

自分が満足すぎるくらい元気になったら、また少しだけ周囲をみよう。心地良くて便利な社会を持続させるために、大切な周囲の人たちのために、貢献しよう。

責任だなんだと色々あるのは分かるけれど、何より大切なのは自分自身だということを、忘れないようにしてほしい。

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