見出し画像

伏線を張って生きると楽しい

自分の人生は自分で作るもの。

周囲からの影響は多大であり無視できないものでありながら、その中で自分がどう行動するかが最重要で、自ら選んだ道であればどんな結果であれ後悔がないはずだ。

どんな風に生きるか、自分の行動にどんな意味付けをするか、それは個人の自由である。

その中で、「伏線を張って生きる」ことに焦点を当てた話をしたい。

予防線を張る

「伏線を張る」というと大げさに思えるかもしれないが、「予防線を張る」場面は多いのではないだろうか。

自信がないことに取り組むときに「うまくできるかわからないけど」と一言添えるのが癖になっている人はとても多い。

これは悪いことではなくて、防衛意識があれば当然のように誰でもすることだろう。

予防線は「他者からつけ入られないため」という限定的な用法だが、伏線はもっとあらゆる用途に使える。

伏線は回収するもの

伏線は、自分の未来の行動と結果の予言のようなものだ。

今こんなことに気づいた、今こんなことを考えている。

その一瞬一瞬に消えてしまうようなひらめきの証跡を残して過ごす。

誰かに話すのでもいいし、SNSに投稿するのもいい。

後から振り返ったときに「関連することを過去に考えていたぞ」と明確に証明できれば、過去と今がつながっていることを実感できて面白い。

自分が納得するようなしかるべき理由を、過去の証跡から作り上げるのだ。

本当は何の関係もなかったことでも、それらしいストーリーが出来上がる。

筋は通しておくべき

伏線は、回収されないものがほとんどだ。

自分でもすっかり忘れてしまっているだろう。

それでも、いつか使えるかもしれないものを蒔いておくに越したことはない。

もちろん、大前提として、どちらに転んでもいいような真逆の伏線を張るのはあまりよくない。

逃げの姿勢ではなく、自分が望む方向へ進めるような種をパラパラと落としていればいつか使えるものになる。

自分の物語を作る

漫画やドラマ、小説などで伏線が回収されるときの爽快感。

あれはもちろん素晴らしい書き手によって作られるもので非常に面白く、誰が見ても楽しい。

ただ、自己完結できる小さな枠組みで、自分の人生をどう解釈するかを面白く彩ってみるのも一興ではないかと提案したいのだ。

そこまで完成度の高い物語は求められないし、少々つじつまが合わなくても目を瞑ることができる。

せっかくの一度きりの人生、最大限リスクのない範囲で楽しくすごしてほしいと願っている。

最後まで読んでいただきありがとうございます。スキをポチッと押していただけるととっても喜びます!(会員じゃなくても押せます✨)いただいたサポートはnote・Twitterでの情報発信の糧にします😊