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お金は使いたいところに使っている

私には好きなものがたくさんあるけれど、コレ!という熱中するものがない。

一時的に熱中するものがあっても、飽きっぽいのですぐに興味が移り変わる。

ただ、一般的には「好きなもの」があって、生活から浮いたお金はそこへつぎ込む人が多いようだ。

好きなものではなく好きな「こと」

お金は、使ってこそ意味があるものだ。

「どこにお金を使うか?」が、その人の人生や人格を示しているのかもしれない。

私には特定の「好き」はないものの、なんだかんだと生活以外のところへ出費していると思う。

一体どこへ使っているのかと振り返ってみると、それは「友人との時間」とくくることができそうだった。

自分1人では行かなかったであろう観劇やフェスへの参加などにお金を落としている。

友人と話をするのが好きだから、「共通の話題を持つことができる」のが私にとってとても魅力的で、お金を使うべきところなのだ。

自分の中の優先度

私は何の躊躇いもなく、少しでも関心が持てるものであれば友人の趣味についていくのだが、誘う側は申し訳なさを感じるのだという。

舞台やフェスは1回の料金が比較的高額(平均して1万円程度だろうか)で、そこまで強い関心がなければ高い買い物だということらしい。

きっと彼女らにとってはそうなのだろう。

お金があるなら他に使いたい先がある。

ただ、先述のとおり、私の優先事項は「友人と共通の話題を持つこと」および友人と経験を共にすることだ。

友人は「お金があれば、かぬちゃんのようにするかも」と言ったが、きっと彼女はお金があったらあったで他にやりたいことが際限なく出てくると思う。

それでも有り余るお金があれば、という程度の優先度だろう。

どこにお金を使うか

当然のことながら「自分が使いたいところにお金を使っている」のである。

そんなに趣味という趣味がない人は生活水準をあげたりするのではないだろうか。

それはそれで、便利な生活を手に入れたり、美味しい食材を手に入れたりすることが、その人にとっての優先事項というだけだ。

本人が満足ならそれでいい。

だから、欲しいことややりたいことが多い人は、その分だけ稼がなければ満足できないわけであるが、それらが「本当に欲しいのか」を問いかける必要はあるだろう。

欲しいものばかりがあって、手に入れられずに満足できないまま終わることほど虚しいことはない。

原動力となる「欲」と、充足感のバランスを考えながら、人生を歩んで欲しいと思う。

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