すごい人 トホーフト
すごい人の話。あるいは権威に流されないようにしようという話。
細かい物理の話は無視して雰囲気だけ感じてくれるとありがたいです。また本文はトホーフトの書いた文章を元に書いているので、違う観点をもつ人もいるかもしれないことをことわっておきます。
はじめに:トホーフトとは
ヘーラルト・トホーフト(Gerardus 't Hooft)という物理学者がいます。
オランダ人です。最初はヘンな名前(失礼)に思えます。't Hooftは"トゥフト"に近い発音だとも聞いたことがあります。
彼は1999年にノーベル物理学賞を受賞しました。数々の偉大な業績もつ物理学者です。英語版のWikipediaに詳しいです。著書には「未知なる宇宙物質を求めて」とか"Time in Powers of Ten"(有名な"Powers of Ten"の時間版なのでしょう)というのがあるようです。レオナルド・サスキンドという物理学者の「ブラックホール戦争」という本には主要な登場人物として出てきます。ベタなSFのようなタイトルですがおもしろいです。また一時有名になった"Mars One"というオランダの火星移住を目指す組織のアンバサダーとして参加していました。しかし2021年6月現在、アンバサダーに名前はありません(組織にいろいろあったようです)。
1970年から73年にかけて、素粒子物理学は激動の時代を迎えました。当時「弱い相互作用」と「強い相互作用」という2つの力に関する理論の構築が求められてましたが、どちらも"ゲージ理論"で記述されると皆が確信に至ったのがこの時期です。トホーフトはその中心人物で、そして当時彼は博士課程の大学院生でした。
ゲージ理論における困難
ゲージ理論は「ゲージ変換の下で対称であれ(ゲージ対称性を持て)」というゲージ原理に基づき構築される理論です。この原理が何かというのは難しいですが、電荷の保存則の拡張概念みたいなものです。現在では世の中のすべての力はゲージ理論であることがわかっています(脚注1)。電磁気力を記述する理論は可換ゲージ理論というもので、その量子論バージョンは量子電磁気学(QED)と呼ばれます。"弱い相互作用"という力は非可換ゲージ理論というもので記述されます。"強い相互作用"も非可換ゲージ理論で記述されますが、弱い相互作用のそれとは別種のゲージ対称性をもちます。以下ゲージ理論はすべてQEDのような量子論バージョン(いわゆるゲージ場の量子論)だとします。
今では皆ゲージ理論の正しさを信じて疑わないです。ゲージ原理は神のルールで、大学生は教授から「それが世界の真理だ」と言われ学び、ゲージ理論の計算をコツコツ行い、そして皆「ゲージ理論の信者」として巣立っていきます。しかし単なる盲信とは違い、それは本当に自然界で実現されていて、実験装置さえあればそれがどれだけ完全な理論なのかを確かめることができます。ただ、あんまり実生活には役に立たない理論かもしれません。
しかし1960年代までは違いました。
当時はQEDのみが実験と比較できるゲージ理論でした。QEDにより電子の異常磁気モーメントと呼ばれる量やLamb shiftと呼ばれる現象などの理論計算が行われたのですが、それらは非常に高い精度で実験と合っていました。大成功を収めてはいたのですが、一方でゲージ理論には以下のように大きな困難と思われることがありました:
1. QEDに関するランダウポールの問題
QEDの相互作用の強さを表す結合定数eはそれを測るときのエネルギーμに依存します。「測るときのエネルギー」とは、電子の物理量を測る際にぶつける粒子のエネルギーだと思ってください。摂動論というものに基づき計算すると、eはエネルギーμが高くなるとともに大きくなり、ある有限のμで発散します。この発散をランダウポールと言います。特にソ連の研究者らがこれを重くみて、理論の不完全性を示しているものだとみなしていました[1]。"東側"(最近使わない言葉ですね...)ではこのため、ゲージ理論以外の理論の模索のほうが主流だったようです。
2. 強い相互作用に関するビョルケンスケーリング
もっと大きな問題だったのはビョルケン・スケーリングという現象が見つかったことでした。非常に高いエネルギーの光子で陽子の中を顕微鏡で見るように観察すると、その中には相互作用をほとんどしないような粒子が存在していることがわかりました。ビョルケン・スケーリングが示しているのは、ハドロンを記述する理論では、エネルギーが高いほど結合定数が小さくなる(=高エネルギーで弱く相互作用するようになる)ようなものであるということでした。これを漸近的自由性と呼びます。これは、さきほどのQEDの結合定数の振る舞いと逆です。もちろんQEDがそうでないからといって、ハドロンを記述する理論がゲージ理論でないわけではないのですが、その当時漸近自由なまともな理論が全く発見されていなかったのです。ついには"漸近的自由な理論はないのではないか?"と思われるまでになりました。
3. 弱い相互作用に関するくりこみ可能性
弱い相互作用の理論はその当時ある程度できていました。量子効果を考えなければすでに理論が完成していました(というのは言い過ぎなようです。後述)。ヒッグスがヒッグス機構という理論を1961年に提唱し、グラショウが提唱した弱い相互作用の理論にこのヒッグス機構を取り入れた理論をワインバーグとサラムが作りました。これは電弱統一理論理論(GWS理論)と呼ばれ、感心するほどよくできています。実際、GWS理論は1979年、ヒッグス機構は2013年にノーベル賞の対象となりました。
しかし大問題が残っていました。それがくりこみ可能性の証明です。ゲージ理論において量子効果を計算するとすぐ無限大が生じます。QEDでも無限大は生じるのですが、これをQEDに存在するパラメータにおしこめる(くりこむ)ことで、無限大をなくして物理量を計算することができました。このようなことが可能な理論をくりこみ可能な理論と言います。もしGWS理論がくりこみ可能でなければ、結局は量子論的には意味のない理論ということになってしまいます。このくりこみ可能性を証明するのは大変重要なことだったのですが、しかしGWS理論は複雑で、とくにヒッグス機構のために一筋縄ではいきませんでした。
4. 弱い相互作用に関するアノマリーのキャンセル
上に書いたようにゲージ理論はゲージ対称性をもちます。GWS理論でももちろんくりこみを行う前はこれをもつのですが、くりこみを行うとゲージ対称性が破れてしまう可能性ありました。一般に量子化による対称性の破れを量子アノマリーとか単にアノマリーと呼びます。ゲージ対称性がアノマリーで破れると理論に非常に重大な問題が起こるため、アノマリーはゲージ対称性には起きてはいけません。これがくりこみで破れないことも同時に証明しなければなりませんでした。
トホーフトのやったこと・そのすごさ
さて、トホーフトはどういう寄与をして、どうすごかったのでしょうか?
[トホーフトのここがすごい1] 大学院生で3.4.を解決した
3.4.はたいへん難しい問題でした。何か物理学上の有名な問題があるとき、何人かが同時に問題を解決する、またはいいところまでいっていることが多いものなのですが、私の知る限り、他に同レベルの計算を行っていた人はいません。しかもこの問題にはノーベル賞レベルの研究者が多く関わっていたのにです。また、4.の問題を解決するために新たな計算方法を作り出す必要があったのですが、それは次元正則化と呼ばれる手法で、次元を4次元からちょっとだけ、しかも複素数方向にずらすという大変奇妙な方法でした。これに関しては同時期に作り出した人がいたのですが[1]、しかし彼らはそれをQEDに使っており、弱い相互作用に適用してくりこみ可能性を示したわけではありませんでした。3.4.の解決に関してはトホーフトとその指導教官であるフェルトマンの独壇場だと言ってよいと思います。
この業績により、トホーフト・フェルトマンは1999年ノーベル物理学賞を受賞しました。
この仕事に関し、トホーフトがコメントしていることがあります。確かに彼はGWS理論のくりこみ可能性・アノマリーのキャンセルを証明しました。しかしこう言うと、すでにGWS理論が弱い相互作用としての市民権を得ていて、その足りないところを証明したとも聞こえます。実際そう語られることが多いのです。しかしそうではないと言っています。以下文献[1]からの引用です:
直訳ではなく彼の気持ちを意訳すると「当時、GWS理論も可能なひとつの理論に過ぎず、"標準理論"など存在せず、それをベースにして研究するなどできなかった。もっともっと基本的なレベルから研究を行う必要があった」ということでしょう。道の整備された"GWS理論山"の5合目まで車で行ってそこから頂上まで登ったのではなく、そもそも登る対象はもっと巨大な"非可換ゲージ理論山"であり、それは車で登れるようなものではなく、地上からコツコツ登り始め、その途中でGSW理論という道具を借りたという感じなんじゃないでしょうか。
【トホーフトのここがすごい2】 実は2.の問題も解決していた
実は非可換ゲージ理論こそ漸近的自由性を持つ理論です。これはポリッツァーとグロス&ウィルチェックが発見したというのは有名な話です。しかしトホーフトは彼らより早く漸近自由な理論を見つけていました(ほかにも見つけていた人がいました。後述)。上に書いたように、理論が漸近的自由性を持つかどうかは結合定数のエネルギー依存性を調べなければならなくて、そのためにはくりこみ群方程式というのを解く必要がありました。1972年までに彼は非可換ゲージ理論でその計算をかなり一般的な形で行っていました。いくつかの文献でその事実を知ることができるのですが、どれをみても計算したこと自体はサラッと書いてあり、それがなんということもない計算だとでも言いたい感じです。実際彼は、すでにこんな計算は誰かが行っているだろうとも思っていて、さらにその結果がそんなに重要なことだとも思っていなかったとのことです。世の中が漸近的自由な理論を希求していることを知らない彼は、1972年6月のマルセイユの会議に出席したとき、シマンチックという研究者の、$${-λφ^4}$$理論という漸近的自由性が成立している理論の発表を聞きました(しかしこの理論は基礎理論にはなり得ないことはシマンチック自身わかっていました)。トホーフトは彼に、非可換ゲージ理論が漸近自由であることを、結合定数の具体的な形を黒板に書いて説明しました。シマンチックは驚き、
"If this is true, it will be very important, and you should publish this result quickly, and if you won't, somebody else will,"
(もしこれが本当ならとても重要なことで、すぐに論文を出すべきだ。もしそれをしないなら、誰か他の人がそれをするだろう)
と言ったそうです[2]。
しかし彼は、その当時他に重要な仕事を抱えていたこと[2,3]、指導教官がその論文を発表することに苦言を呈したこと[4]、さらにはやはりまだそれほどこの仕事の重要性を認識していなかったこと[3]などなどの理由により、論文を投稿しなかったようです。
翌年、シマンチックの予言どおり、ポリッツァーとグロス&ウィルチェックが非可換ゲージ理論の漸近的自由性の証明論文を出版しました。トホーフトは驚いたと言います。それは、彼らが証明論文を提出したことにではなく、"the stir they caused"(発見に対する周囲の熱狂ぶり)にだそうです。この時点で、初めてその重要さに気づいたのでしょう。
そしてポリッツァー、グロス&ウィルチェックは、2004年にノーベル賞を受賞しました。
【トホーフトのここがすごい3】 当時状況を達観していた
トホーフトの回顧録を読むと思うのは、よく聞く当時の状況とは違う見方をしてることです。例えば以下のような文章があります[1]:
世間(=物理学界隈)でよく言われるのは、上記した1.2.などにより、1971,2年ごろに"ゲージ理論の危機"が訪れていたという話です。これはよくいう「新たなブレークスルー実現のための思考の変革に先立つ"危機"」のようにも見えます。しかしトホーフトはそれを否定しています。彼の回顧録では「QEDのランダウポールが問題とは思えなったし、それを問題と思うならなぜ非可換ゲージ理論をちゃんと研究しなかったのか」とか「なぜみんなビョルケンスケーリングを問題と思うかわからなかった。非可換ゲージ理論は漸近的自由な理論じゃないか」のようなことを言っています。彼は非可換ゲージ理論の結合定数のエネルギー依存性の計算をすでに終えており、それが漸近自由でありランダウポールの問題も無く、ビョルケン・スケーリングという正しさを示す証拠もありました。必要なパーツはすべて揃っていました。なのに皆が「漸近的自由な理論がない!大問題だ!」などと言っている状況がわからなかったのでしょう(または皮肉なのかもしれません)。だから、上記の文において
"There was no crisis, new experimental results were coming in, the nature of our problems was clearly identified, and there were plentiful ideas."(何一つ危機などなく、新しい実験結果がもたらされ、問題の本質は明確にされ、そして多くのアイディアが存在した)
と言っているんだと思います。天才の達観て感じがします。
何を学ぶべきか
[3]にこのような文章があります:
これは非可換ゲージ理論の漸近的自由性の証明論文を投稿しなかったことの補足として書いたものです。シマンチックが提唱した漸近的自由性をもつ$${-λφ^4}$$理論により、ビョルケン・スケーリングが非常にうまく説明できるというパリジの重要な論文のことを彼は知らなかったとのことです。このような、強い相互作用の現象論に完全に無関心だったと言っています。アンテナを伸ばして、常に最新の情報を得ることの重要さを語るエピソードです。
ここで述べておきたいことがあります。強い相互作用の非可換ゲージ理論は量子色力学と呼ばれるのですが、これが正しいと信じられたのは単にこの理論が漸近的自由であることだけではありません。実はビョルケン・スケーリングと呼ばれる現象は、実験で詳細に調べると完全には成立していません。この「ビョルケン・スケーリングの破れ」が見事に量子色力学により説明できたことが、強くこの理論の正しさを示唆しました。この解析にはパリジやアルタレリなどの貢献が大きいです(脚注A)。他にも量子色力学が実験結果を見事に説明したからこそ信じられるに至ったことは記憶に留めておく必要があります。
また、こんな話もあります。
実は非可換ゲージ理論の漸近的自由性についてはシッフマン(M.Shifman)が「ポリッツァー,グロス,ウィルチェックの論文の前に3度発見されていた」と述べています。ソ連で2度、そして3度目がトホーフトとのことです。これに関してトホーフトは以下のように述べています[1]:
β functionというのは結合定数をエネルギーで微分したものです。これが負なら漸近的自由な理論です。シッフマンは「漸近的自由性はポリッツァー, グロス, ウィルチェックの論文の前に3度発見されていたが、それが新しい発見だと認識されていなかった」と述べています(脚注2)。そしてトホーフトはこれを肯定したうえで「(このような認識の齟齬は)単純な誤解の一例だ」と言っています。「"エキスパート"は漸近的自由性が不可能であると確信していたために、逆の結果を聞き入れることもなければ、ましてや信じることなどなかった」。そしてそのために、トホーフトがその計算をしたとき、結果(非可換ゲージ理論が漸近的自由であること)が未だ知られていなかったということを信じることが難しかった、と述べています。
"権威"の言うことはときには間違っているので、それに流されないこと。また、あることを示唆する多くの例があろうとも、そこから一般論を導くときには慎重になるべきである、ということですね。
ただ、"権威"はその強い信念があるからこそ権威になれるような大きな仕事を成し遂げることができたとも言えるので、ある意味しょうがないのかもしれません。世間に流されず、権威の信念を壊すような研究をするのは若者の義務なのでしょう。
最後に
彼が真にすごいのは、これら以外にも素晴らしい業績がたくさんあることです。この後の研究は、重要な問題に独創的なアイディアで挑み、分野自体を創り出す感じの仕事が多くなっていきます。英語版Wikipediaには簡単に彼の業績がまとめられていますので、興味があればご覧ください。
おしまい。$${{}_\blacksquare}$$
(脚注1) 重力のゲージ理論に関しては簡単には量子論を作れません。いまだ重力の量子論は完成してしません。
(脚注2) 漸近的自由性(asymptotic freedom)という言葉自体はGross & Wilczekが最初に使いました。また、強い相互作用の現象論まで含めて状況を把握していたという点ではポリッツァー, グロス & ウィルチェックが最も優れていたようです[1,3]
(脚注A) パリジは2021年にノーベル物理学賞を授賞されました。ただし主に授賞対象となった業績はスピングラス・複雑系関連であり、ここで紹介した業績ではないです。ちなみにトホーフトはパリジに授賞お祝いのツイートをしています。詳しくは以下の記事をご覧ください:
参考文献
[1] G. 't Hooft, "The Evolution of Quantum Field Theory -From QED to Grand Unification," arXiv:1503.05007.
[2] G. 't Hooft, "When was asymptotic freedom discovered? or the rehabilitation of quantum field theory," Nuclear Physics B(Proc. Suppl.)74 (1999) 413-425.
[3] G. 't Hooft, "Birth of asymptotic freedom," Nuclear Physics B254(1985)11-18.
[4] Prof. G. 't Hooftへのインタビュー (聞き手: 杉本茂樹): 「へーラル・トホーフト教授に聞く」 Kavli IPMU News.
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