映画『ダーティハリー』、俳優クリント・イーストウッドについて

 映画『ダーティハリー』(71年)は面白い映画なのかどうか。クリント・イーストウッドは魅力的な存在なのか。
 それらは個々人の主観だろうが、この映画全篇にはさまざまな仕掛けや観る甲斐のあるものが配され、あるいは自然と発生し、映画の歴史において興味深いポイントにある作品でもあり、イーストウッドも個性的な俳優であると思われる。盲目的な崇拝ではなく、それらの事柄について記し、考えてみたい。
 『ダーティハリー』の監督はドン・シーゲル。主演はクリント・イーストウッド。脚本ハリー・ジュリアン・フィンク、リタ・M・フィンク、ディーン・リーズナー、ジョン・ミリアス。
 本来はジョン・ウェインの主演作として企画されていたそうで、それはこの同年と2年後のジョン・ウェイン西部劇『100万ドルの血斗』(71年)、『ビッグケーヒル』(73年)の脚本家であるハリーとリタのフィンク夫妻が本作のシナリオを書いているところにも表れている。リタ・フィンクは夫と共同執筆という形で、ここに挙がるわずか3作に名を残すのみで、その作業の詳細も不明だが、『ダーティハリー』終盤のハリーが相棒の妻と語らう場面での突出した情感などに寄与するものがあったのでは、と推測させる。
 本作の物語は、サンフランシスコに現れたスコルピオ(さそり座の男)と名乗る殺人者をイーストウッド演じる刑事ハリー・キャラハンが追う、狙撃による殺人予告をし止めたければ金を払えと市に要求するスコルピオと、彼に対峙するという汚れ仕事を引き受けることになる刑事が互いの暴力性を拮抗させる、というもの。
 それまでアメリカ映画のなかで数え切れないほどつくられてきた警察映画、刑事映画の一本だが、その定番さをアメリカン・ニューシネマのスタイルで撮っていることと、キャリアとして上り調子だったイーストウッドの存在感、そしてベテランと言っていい監督ドン・シーゲルがその巧みさを守りに使わず未踏の領域に開いていったことが組み合わさり、独自のダイナミズムを醸している。
 アメリカン・ニューシネマは60年代末から70年代半ばのアメリカ映画の変化で、大手映画会社の弱体化、検閲と表現規制の緩和、若手映画人の台頭などの複合的要因によってアメリカ映画の話法、ルックス、意識が窯変、開花したことを言う。和製英語的に日本ではこの語だけでそれらの属性を持つ映画と、特に左派的なキャラクターの敗北感や屈折が描かれるというイメージだが、アメリカ本国と海外の批評・ジャーナリズムでは上記の映画史上の現象を指すのが主で、ニュー・ハリウッド、アメリカン・ニューウェーブと呼ばれもする。フランスの映画運動ヌーヴェル・バーグ(1950年代末から始まる)がアメリカ映画産業商業主義の岩盤を越えてやっと浸透してきたもの、とも言える。
 監督ドン・シーゲルは1930年代に映画会社ワーナー・ブラザーズで編集や助監督をつとめ、40年代に監督デビューする。50年代に小気味いい活劇映画を連打した監督であり、アメリカン・ニューシネマの監督ではないが、その時代にも適応、それを享受してみせた。こういうタイプの50年代アメリカ映画監督は他にもいて、スタンリー・クレイマー、ロバート・アルドリッチ、リチャード・フライシャー、ジョン・ヒューストンらもシーゲル同様に、アメリカン・ニューシネマ作品群の中心や代表作とはならないものでありながら、彼らなりのニューシネマ期、ニューシネマ的作品を持つ。
 ドン・シーゲルのニューシネマ期を活気づけた要因がふたつあると思われる。
 ひとつは暴力描写の規制緩和が彼のメインフィールドである活劇映画の演出において刺激となったこと、そしてもうひとつは編集者出身である映画技法の巧みさが、表現の広がりにマッチしたこと。それらが『ダーティハリー』のなかに見てとれる。
 実在の犯罪者ゾディアックキラーにインスパイアされたスコルピオ(劇中ではついに名前で呼ばれることがない)の都市における無差別殺人、劇場型犯罪はロケーション撮影を必然とする。
 本作では人物が歩きまわり走りまわり動き続け、いろんな場に立ち、その多様な空間と風景が示される。
 撮影所システムとセットでつくられた映画ならば室外から室内への移り変わりのほとんどはカットを割って撮られるだろうし、手持ちキャメラの撮影もほとんどなく、手ブレ、ピンボケ、レンズへの光の差し込み、人物の顔が暗くつぶれるカットはNGだろうが、ニューシネマ期の映画はこれらを効果として用いる。『ダーティハリー』も同様で、人物を追って空間を抜けていく画面があり、手持ち、手ブレの画面が狙ってつくられた表現となっている。ドキュメンタリー映画の経験があるキャメラマンが映画業界にもたらした変革と、ドキュメンタリー及び新しい映像を見慣れた観客の側の感覚がそれらを鑑賞しうるように養われたことが、映像の粗さや多様さを美学に高めた。
 『ダーティハリー』の撮影監督はブルース・サーティース。1971年にシーゲル監督、イーストウッド主演の南北戦争時代のニューロティックな奇譚『白い肌の異常な夜』で撮影監督デビューし、以来ドン・シーゲル監督作品を4本、クリント・イーストウッド監督作品7本の撮影を手掛けることになる。そのシーゲル監督作4本のうち3本にはイーストウッドが主演し、この二人の監督以外のイーストウッド主演作をサーティースが撮影したものもあり、70、80年代にはシーゲル=イーストウッド=サーティース・サークルとも言える計13本の映画が発生していた。
 映画中盤にスコルピオがフットボール場(サンフランシスコのケザール・スタジアム)に住み込んでいる整備員だとわかり、ハリーが彼をそのグラウンドで捕らえ、誘拐監禁している少女の居場所を吐け、とスコルピオの太腿の傷を踏みにじるとき、キャメラはひたすら後退し、それはヘリコプターによる空中撮影なのだが、やがて彼らの姿が認識できなくなるまで、フットボール場の全体が見えるまで引いていく。…これはなんなのか。なにを意味する、示す、ということが明瞭でなくてもただ映画はその画面をつくり示す、そのインパクトがある。
 意味するものとしてのあるひとつの映像が、ストレートにひとつの意味や情緒を示すのではないスタイル。規制の減少と映像技術・機材の進歩で映像自体の押し出しは強くなっているのに、それは明示よりも曖昧さや余地、余白をつくる。この時代の、そしてこの時代以後の映画に含有されるモード。現代映画的なもの。いま我々が観る映画、映像の萌芽。…こういうカットを、かつては簡潔で的確で無駄のない画面の連鎖による活劇の名手とされたシーゲルがやっていることが興味深い。
 また、この場面を観る者はその前の、スコルピオが人質によってハリーをなぶりつくし銃を取り上げて殴打するも、ハリーが隠し持っていたナイフによって逆襲され、刃渡り10センチ以上のナイフが根本までスコルピオの太腿に突き刺さっていた描写(この当時のアメリカ映画、そして監督ドン・シーゲルの直接的暴力描写の極点か)も脳内から去っていないはずだし、そのまますぐに画面はゴールデンゲートブリッジを背景に佇むハリーが無惨な少女の亡骸の発見現場を見ているのを映し出す… 有機的に間断なく画面と出来事は継起する。
 犯人を捕らえてここで終わりと思いきや、本作は違う次元に入る。地方検事事務所に呼び出されたハリーは、スコルピオを捕らえた際に正当な手続きを踏まず、押し入って拷問したと非難され、この点から不当逮捕として起訴しても有罪にできない、釈放すると言われる。ハリーは怒り、観客も観ていて理不尽さにイライラする。脚本展開上のひとひねりが行われている面白い箇所だ。
 ここに『ダーティハリー』という映画のタカ派的政治性が生じてもいる。この場面で室内には地方検事のほかにもうひとり人物がいて、それは大学で憲法を教える法学者だと紹介され、検事に促されてハリーへの厳重説諭をおこなう。法律が枷となって正義が妨げられる、という設定を補強するためにこの人物が置かれたのかもしれないが、この場面の意味を敷衍すれば、火急の行動や正義の行使に法律(憲法も含む)が邪魔なことがある、と語っているようにも見える。
 ハリー・キャラハンとイーストウッドは後年そのような武力攻撃肯定、「世界の警察アメリカ」の正義、というような心性のシンボルになってもいる。イーストウッド本人は、近年俗世のことはどんどんどうでもよくなっている気配だが、警察と軍人役を多く演じてそれらを監督もする愛国者の共和党支持者だった。
 左派的感性を持つ映画好きがジョン・ウェイン自身の右派性を嫌いながらその出演作を愛したり、左翼学生が特攻隊帰りをアピールする鶴田浩二のやくざ映画に喝采をおくったりすること、またキャラクターに関係することでなくても、平和主義者、非武装論者なのに戦争映画や兵器が大好き、などということはザラにあるかもしれない。映画的魅力が或る人間に政治的な“〜イズム”を忘れさせる、その現在形がクリント・イーストウッドとイーストウッドファン層にある捻れで、それは滑稽でもあるが、文化というものの幅、余地かもしれない。
 …そもそもイーストウッドがこんなにレジェンダリーな存在、人気のあるヒーロー役俳優として定着したのはなぜなのか。
 遠景の画面として“イーストウッド映画”というカルチャーを見れば、マッチョなノッポが顔をしかめて暴れているのを彼ほど脚が長くない男たちが崇めている、というふうに見えるだろうが、その内部の短足組のひとりとして彼の映画を数本見てしまうと、そのヒーロー像に絶妙な“綾”、一面的でない様相を認めて、ついつい引き込まれてしまう。
 ずっとシリアスなアクションとアクションコメディの二系統をやり続けているし、シリアスのときにもユーモアや皮肉がある。そしてそれ以上に観る者にアピールするのは執拗な“傷つき”を見せ場とすることで、映画人イーストウッドには確実に受苦という主題がある。
 1930年生まれのイーストウッドはパッとしない新人俳優時代を経て、1958年からテレビ西部劇「ローハイド」への出演で有名になり、そこからイタリア製西部劇、和製英語でいうところのマカロニウエスタンからオファーを受ける。そうして出演したのが『荒野の用心棒』(64年 セルジオ・レオーネ監督)であった。これに続く同監督による『夕陽のガンマン』(65年)、『続・夕陽のガンマン』(66年)の成功でイーストウッドは一躍スターとなる。ここから、いたぶられる男、イーストウッドが始まる。特殊メイクによって傷跡や顔面の腫れ上がりを表現するほどの拷問・負傷場面のある『荒野の用心棒』(←リメイク原案である黒澤明監督『用心棒』(61年)で行われたこと、三船敏郎演じる浪人三十郎がそのようにされたことを踏襲している)と『続・夕陽のガンマン』はその他のマカロニウエスタンにまでその暴力描写、血まみれの殴打場面を波及させたし、そのテイストをイーストウッド本人がアメリカに持ち帰った『奴らを高く吊るせ!』(68年 テッド・ポスト監督)では、牛泥棒の冤罪をかけられて絞首されるが生き延びて復讐に向かう男を演じた。他にも、心臓近くで胸腔を貫通する矢傷を受けた賞金稼ぎが尼僧の素人手術でその傷を焼き塞いでもらう『真昼の死闘』(70年 ドン・シーゲル監督)や、南北戦争の脱走兵が女性らに囲われたのち片脚を切り落とされる『白い肌の異常な夜』(71年 ドン・シーゲル監督)があり、そしてこの『ダーティハリー』ではスコルピオに武装解除されたあと、気を失い肋骨を折るまで殴る蹴るの扱いを受ける。
 北上次郎が海外の冒険小説を論じた文章で、60年代70年代の冒険小説の行き詰まり、外に向かっていくことの飽和を指摘していた記憶がある。その論は、そこを突破できたのは冒険をミニマムに、ドメスティックに再発見できた書き手(ディック・フランシスなど)だ、と述べていた。イーストウッドにはそれと同様の、強さを外に向ける攻撃で示すのでなく、痛めつけを耐久する、それを受けることで表現する、という転換がある。
 少年時代より乗馬と水泳をよくしたことで養われたイーストウッドの体格は身長193cm。画面に映ったときにほとんどいつも誰よりも背が高く(もっと高い脇役がいてもそこは工作がなされるだろうが…)、観る者に直観的にこいつが主人公だと感じさせる。しかしその体躯は力感にあふれているというより、打ち倒されるのを待っているかのようで…
 …そしてまた立ち上がるときにはその手には銃があるだろう。
 『ダーティハリー』の重要な場面として、全部で6発装弾できるリボルバー(回転輪胴式)拳銃スミス&ウェッソンM29を用いた銃撃戦のあと、制圧した悪党に拳銃を突きつけて、この銃に弾丸が残っているかどうか問う場面がある。悪党の手から銃はとりあえず離れているとはいえ、少し手を伸ばせばそいつは撃てる。ハリーはピタリと狙っているものの6発の弾を使い尽くしているならば再装填するうちに悪党に撃たれる…。この設定は本作で二回繰り返される。大見得を切る見せ場だ。
 最初は全体を貫くスコルピオ追跡とは関係ない、ハリーが偶然出くわした銀行強盗を制圧したときにこれをやる。
「撃ちまくって弾が残っているかどうかわからないんだ。ないと思うんだったら動いてみな…」
 強盗はあきらめて降伏するが、そののちに本当に弾があったかどうか尋ねる。カチッ。撃鉄は空の薬莢を叩くのみ、弾丸は切れていたのだ。
 訓練を受けて銃を扱っている者は常に残弾数を把握しているという。描かれるプロフェッショナルとしてのハリーのキャラクターでそれができてないというのはありえないので、これはブラフ、ハッタリなのだが、それならなんにも喋らず、弾があるフリをして、すぐ捕らえたらよくない?!と思うものの、やはりどうにも面白い場面であってコレなしでは本作は考えられない。逆に言うとそういうありえなさのうえに強く“ファンタジー”を乗せて、ここまでやっているのでもあるが…
 この場面についてもうひとつあるのは、観客が観ていてその弾丸数を数えられるのかという問題で、これは意識して観た場合ハリーが発砲するのを5発ぶん目視できるが、発射を目には見せず、発砲音も強盗側の散弾銃だかハリーの銃だか判別しづらくしている発砲をひとつ入れて、観る者にもう1発あるかも…ないかも、を体験させている。ここに監督シーゲルの技がある。
 映画のラスト、スコルピオに対して同じシチュエーションが生じる。ハリーは強盗制圧の際とまったく同じセリフの警告をする。ただし今回は5発を発射してあと1発弾丸が残っているのを、直前の銃撃戦を見て容易に確認できるように撮っている。
 この銃と銃弾の主題は以下のイーストウッドが主演・監督するシリアスなアクション、『ダーティハリー』的映画群に引き継がれる。そこではいたずらに弾丸をばら撒いてアクションをインフレさせるのではなく、数えられるほどの数の銃撃、ときには一発の銃弾が決定的に放たれることを描く。
 『ダーティハリー4』(83年)は同様の銃突きつけと、一作目より有名な「さあ、やってみろよ」Go Ahead Make My dayというセリフを持つ。ハリーはスミス&ウェッソンを失ない、敵の火器も強力であるために武器をマグナム弾を7発装填できる自動拳銃44オートマグに持ち替えて敵と戦う。映画は強姦被害者女性による復讐、男の股間を撃ったあと殺害するというアクションが描かれており、彼女のほうにこそ弾丸一発一発の意味は強く存在する。
 ややコメディふうでもある『ルーキー』(90年)ではイーストウッド演じる刑事は銃弾が尽きたときに敵がペンダントにしていた銃弾を使って逆襲する。
 脚本家ブライアン・ヘルゲランドによる『ハリー』シリーズへのオマージュとイーストウッドによる自己模倣の雰囲気が漂う『ブラッド・ワーク』(02年)では、心臓移植手術を受けた引退刑事・探偵が自分に心臓を提供した女性は殺人事件の被害者であるとその女性の姉に知らされ、依頼されて犯人探しをする物語で、彼は心臓発作を起こして以来、警察の訓練で人型標的を撃った際に聴き続けていた心臓部をヒットしたときの鐘の音“10(テン)リング”を死の象徴として脳裏に抱き続けるが、ついに犯人を突き止めて“10リング”を聴く。
 このあたりで重なり始めたイーストウッドの受苦の主題と銃の主題は、『グラン・トリノ』(08年)で融合する。
 『グラン・トリノ』のクライマックス、イーストウッドはついに銃を持つことをやめる。銃を持っているかのように懐から手を抜く仕草を見せ、相手に自分を撃たせて、ある状況を救って死んでいく。その倒れた姿は、今回本稿では追えなかった、イーストウッド映画で反復される図像的サイン、“十字架”のようでもあった。ここにイーストウッドの『ダーティハリー』的なシリアスアクション映画は極まり、ほとんど遺作のようなものを感じさせた。…その後も、明朗なアクションコメディの系譜(なぜか、一貫して“旅”や“移動”を背景とすることが多い)のほうでは、老境と弛緩を楽しむように『運び屋』(2018年)、『クライ・マッチョ』(2021年)をフィルモグラフィに加えてはいるのだが…。
 (イーストウッドは71年の『恐怖のメロディ』以来、主演兼監督を多くやっており、出演のみの場合でも作品の在り方についてのイニシアチブは相当大きく、“イーストウッドの映画”と名指すときそれが字義通りのものとなっている。ファンや評者がこれを意識するにせよ、しないにせよ、このことは作品群の一貫と語りやすさを生んでいる)
 始まりの位置に戻ろう。
 銃をぶっ放し、殴り殴られ、自らも相手も血みどろになりながら、しかしこの『ダーティハリー』という映画で主人公のハリー・キャラハンは何人殺したか。最大に見積もって3人、最小に見ればスコルピオひとり(中盤の銀行強盗一味のうち二人が死んでもおかしくない撃たれ方をしているが生死ははっきりしない)。それも、激怒しつつも向こうが引けば撃たないですむようにして、だ。
 意外と抑制的に、それだけのことで一本の映画をつくっている。そのくせ全篇に死と暴力の気配が立ちこめている。犯人の行なった凶行と被害者の死の重さが、それを見続け、追いながら、阻むことができなかったハリーにきっちりのしかかっている。そして最後には皆がやらなかった、悪党を屠る、というダーティなアクションをこなす。
 悪を倒した、勝ったはずなのにまったく爽快感はない。この男は警察組織、体制、法の機能不全と、凶悪な害意に対峙しすぎた。辞めもするだろうし、何をしても苦いだけだ。映像同様、ストーリーも多義的で単純ではないところに到達して終わる。
 相当陰鬱な映画ではある。もっぱら流通している勇壮なヒーロー性の映画というイメージは、観た後にいいところだけ思い出してるとか、そこが語りやすい広まりやすいという、想像上のものなのではないか。
 駆け足で映画『ダーティハリー』のいくつかの見どころを書き出し、俳優クリント・イーストウッドを素描したものの、面白さや魅力を示しえたかは定かではない。いまやそのスタイルは目新しくもない映画なわけだが、かつての野心作、画期、さまざまなもののルーツであり、そこにはやはり詳しく観る価値はあるのではないかと思える。

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