[処女は恥ずかしい?]処女の歴史⑥日本人の恋愛と結婚・明治の結婚と家父長制の話
こんにちは。40代で「彼氏いない歴=年齢」&「おひとりさま」の占い師(占いカウンセラー)・可憐(かれん)です。
前回は、昭和の終戦~高度経済成長期の恋愛、結婚、処女の歴史をお送りしました(→前回の記事はコチラ)。
今回は、ちょっと振り返って、「明治の結婚と家父長制」を物語る話をご紹介します。
「父が娘をあげる」話
少し前のテレビドラマなんかには、
「おとうさん! 娘さんを、ぼくにください!」
と、結婚のあいさつに来る彼氏と彼女、
「お前なんかに、娘をやれるか!」
と激怒する彼女の父親、というシーンがよくありました。コントでも。
「娘さんをぼくにください」と、
「お前に娘をやれるか」、または「お前に娘をやる」。
家父長制社会では、女(妻や娘)は男(家長・親や夫)に「所有されるもの」であり、娘は父から夫へ「贈与されるもの」という意識があったからですね。
戦後、「男女平等・個人の尊重」がうたわれ、憲法と民法は改正されました。
「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」(憲法第24条)(※太字は筆者による)
そのため、原則として、現在、結婚する2人以外の人の同意は不要となっています(民法により、未成年者の場合には父母の同意が必要)。
でも、戦前まで、明治民法では以下のように規定されていました。
・家族は戸主(家長)の命令・監督に服従する
・結婚に適する年齢は「男性17歳、女性15歳」
・結婚は家と家との契約なので、家長(戸主)の同意が必要
・「男性30歳、女性25歳」になるまで、父母の同意も必要
さらに、「妻は婚姻によって夫の家に入る」とされていたので、
令和の現在も、結婚することを「入籍する」と表現する人がいるのは、戦前の明治民法時代の「妻は婚姻に因よりて夫の家に入る(旧788条)」の意識が残っているから、とのこと。
「娘さんをぼくにください」と、
「お前に娘をやれるか」、または「お前に娘をやる」。
娘は「物」じゃないのに。
家父長制社会では、女(妻や娘)は男(家長・親や夫)に「所有されるもの」であり、娘は父から夫へ「贈与されるもの」という意識があったから。
少し前のテレビドラマだけでなく、明治時代より前にもあったであろう、「父が娘を夫にあげる」話。
それを物語る民話があるので、紹介します。
「猿の嫁ご」
猿、かわいそうだと思いますか?
これに対して、「かわいそうだなんて考えたこともなかった」女性の話が、こちらに載っています。
ヤチヨさんの話
宮城県北の山沿いの小さな集落に暮らしていた、ヤチヨさん。
明治15年(1882年)生まれで、著者の小野和子さんと会ったのが、昭和46年(1971年)。
小野さんと会ったとき、90歳に近かった。
小野さんは、宮城県を中心に東北の村々に伝わる民話を、各地のお年寄りを訪ね歩いて、聞き、集める、「民話の採集」(小野さんによると「採訪」)をしていた。
ヤチヨさんは、集落を訪れた小野さんに、覚えているいくつかの昔話を話して聞かせてくれた。
ヤチヨさんの生い立ち
ヤチヨさんの生家は貧しい小作農で、兄弟が多い上に母親は病弱だった。
7歳で同じ村の金持ちの家に子守りに行き、そこで16歳まで年季奉公をした。
小学校にも通えず、字がまったく読めなかった。
昔話を聞いたのは、村はずれの「おばあの家」。
朝、子守りをする赤ん坊を背中にくくりつけられると、すぐに「おばあの家」に走っていく。
「おばあ」は一人暮らしの老人で、昔話をよく知っていて、やってくるヤチヨさんを迎えて語ってくれた。ヤチヨさんの背中で泣く赤ん坊のために唄もうたってくれた。
そんな「おばあ」のところは、ヤチヨさんのように、家が貧しいために7つや8つの年から他家で働く子どもたちが集まる「たまり場」のようになっていた。
ヤチヨさんは16歳の年に、奉公先から山一つ越した集落へ嫁いだ。
その後、ヤチヨさんは男の子を4人授かって、子育てや田畑の仕事に明け暮れ、やかましい姑にも仕える日々を送った。
だが、28歳のときに夫が他界。その後は女手で一家を支えて百姓をし、老いた舅姑の世話もした。
ヤチヨさんにとっての一筋の光は4人の子どもだったが、
「難儀して育てた子ども、病気と戦争で4人とも殺した」。
「亡くした」ではなく「殺した」と言った。
そんなヤチヨさんが、民話の採集をしている小野さんと出会ったとき、最初に聞かせてくれた話が「猿の嫁ご」。3回会い、最後に話してもらったのもこの話。
この話をヤチヨさんはとても好きだったようで、これを語るときは表情が一段と生き生きしていた。
小野さんが思わず「猿がかわいそうだね」と言ったら、ヤチヨさんは不思議そうな顔をして、
「ほう。おれはそんなこと考えたことなかったよ」
と、おかしそうに笑ったという。
明治時代に生きた女性の多くが、親に所有され、親に「行け」と言われて、夫に与えられるように嫁いでいた様子がうかがえます。
家父長制のもとの婚姻の例といえるでしょう。
語り継がれる民話
なお、民話の「猿の嫁になる話」は、細部は異なりますが、大筋は同じ、似たパターンの話が日本各地に伝わっています。
(その土地によって、猿がするのが田んぼに水を入れることだったり、畑仕事の手伝いだったり。藤の花が桜の花だったりする)
それだけ日本の各地で語り継がれているということは、それだけ同じ境遇の多くの人に共感され、口から口に語り伝えられてきたということでしょう。
いくつかは以下で読めます。
猿むこ - 山形県の昔話 | 民話の部屋 (minwanoheya.jp)
猿婿入 - 山形県の昔話 | 民話の部屋 (minwanoheya.jp)
猿聟入り - 埼玉県の昔話 | 民話の部屋 (minwanoheya.jp)
猿の嫁 - 岐阜県の昔話 | 民話の部屋 (minwanoheya.jp)
猿の嫁 -長崎県の昔話 | 民話の部屋 (minwanoheya.jp)
猿の婿どの -熊本県の昔話 | 民話の部屋 (minwanoheya.jp)
ヤチヨさんについて、ここで紹介したあとにもドラマチックな続きがあります。
他にも、昭和40年代・1970年代に、明治や大正を生きたお年寄りたちから聞いた話がいくつも。
民話だけでなく、小野さん自身がお年寄りに会って思ったこと、感じたことなども。
興味のある方は、上で紹介した、こちらの本をどうぞ。
小野和子『あいたくて ききたくて 旅にでる』
PUMPQUAKES(パンプクエイクス) 2019年
この本は、この番組で知りました。
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次の記事では、1960~70年代の「恋愛、結婚、処女の歴史」をお送りします。
つづきはコチラ
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龍泉寺可憐|40代で「彼氏いない歴=年齢」&「おひとりさま」の占い師(占いカウンセラー)
新卒で出版社に勤務
親の介護&コロナで働けなくなってから派遣で図書館に勤務
ライターとしても活動
電話占い師として1年で老若男女のべ750人鑑定
現在、占いカウンセラーとして「彼氏いない歴=年齢」・「おひとりさま」の女性のお悩み相談に乗ってます
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