頭の中で紡いでいくこと

先日、美容師さんから「先生方ってカルテあるんですか?」と聞かれて、まず、私の知識や経験は、それを必要とされる方と2人の間での内容であり、会員様が抱えていらっしゃる問題に対しての対応なので、会社などに提出してそれを知識として蓄えて権利が移動するならば、そこには別の費用がかかりますよという話をした上で、え?覚えるでしょ?普通…と思ったのだが、まぁー次にお会いするか?も含めて、担当する件数が違うのかとか、接触頻度がまるで違うのかとか、私達のほうは、体の状況や、理解の進捗を扱うので、お天気並みに刻々と変わる状況だ。だからそんな言葉となるのかなと思ってみたりした。

私の両親は(実家)床屋なので、髪型を見ればとは母はいうが、つむじや髪のクセや質をみれば、触ればずーっと昔のものでも  、あ、あの人ってわかるんだそう。

それを言葉や映像音声で残せるわけもなく、イメージとして、マインドマップのように、ふんわりと頭に入っているとお応えした。何故覚えないのか?と逆に疑問に思った。

生徒さん側の問題解決に対する問いの立て方については、興味を持ちそうとか、自分で探求出来そうな問いを立てる必要もあり、ご機嫌や体調によっても言葉を変えているし、その方の分かりやすい言葉を選ぶので画一的に残せないけど事実はひとつってかんじ。
頭のメモリをそのままごっそり移せたら、どんなにか楽か…
そんな時代が来て欲しいような、来ないで欲しいような。

多くの問題が複合的に発生しているので、組み合わせでお応えするのだが、使いこなせるようになった ほっ

ということが言いたいだけなのだが。

先程、生徒さんから太極拳しようと思って出がけに軽くチェックしたとのことで、質問された。

私もヨガ同様、やっていたことがあるので、中国語の勉強になりますよとか、この動きをマスターしてほしいとか、この考え方や世界観を許容できるように、考えてみて欲しいと伝えてきたが、やっぱり離れていたものでも、たまに見返すと面白いものだ。起勢 野马分鬃 懐かしい

経験や知識としてさまざまな物を授けてもらった。

今日は ぶすーっとして泳ぐのと ニコニコして泳ぐのはどちらが泳ぎやすいか?という話で興味を惹きつけてみた。

もちろん、ぶすーっとがだめにきまっている。
無駄に力が入り不健康の元がこれなのだ。

えー、いがーい。とか 嬉しい反応を貰ったわけだが。

なんでもね、どんな気持ちでやるのかが大事なんじゃないの?って話を やわらかーく、楽しそうに伝える第一歩となったかなとは思った。

また最近首の動きの指導について、
お付き合いくださって、本当にありがとうって
思うひび。

あの方の脛の痛みとお尻の痛みと左肩の痛みを取る作戦を淡々と練ってただ75点は取れたなって自信がついたりとか。

逆にあの方のあの内転筋のトレーニング、まだ腿に力入って筋肉痛だしちゃったなとか。

脊椎の損傷からの復帰の彼は、痛みが出たって…あ、まだだめかぁとか。

あんまに強い関わりがないが、楽に動けるようにしたら、顔色がパッと明るくなったなとか。ニコニコが抵抗があったみたいだったから、そこが緩んだ瞬間だったし。なんかあったのかなーとか。

人と関わるって楽しいよ。
ぶっちゃけ各所の休館日休みが、軒並み終わって通常業務に戻ってきたのだが、それはそれで、大盛りになってきたのでまた多忙なんだけどね。楽しいよ。

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