窮鼠はチーズの夢を見る

「窮鼠はチーズの夢を見る」

最初から最後まで、地獄だった。

映画自体が悪かったのではなく、あくまで私の期待していたものではなかったというだけなんだけど。傲慢だったといえば、それはそう。

救いはどこにあったんだろう。心が詰まる感覚。

当人たちだけでも幸せになってほしかった。
明るい未来の展望が、その兆しが、少しでも見えてほしかった。

まるでその恋は、誰も幸せにしないよって。
その感情は誰のことも幸せにできないよって言われたみたいだった。

許してもらえないのか、味方ではいてくれないのかって
重ねて苦しくなってしまった。どう自分に取り込むのが正解だったのかなぁ。

・環ちゃん

“あざとかわいい女子“として描かれていた環ちゃん。
嫌味なくらい、いいこだった。正しくて、嫌なこ。正解で刺してくる。
本当に健気で、良いこだった。
彼女の苦しみがとてもまっすぐだった分、より暗くて救われなかった。
環ちゃんも、私も。
誰も間違ったことはしていないのにね。

・今ケ瀬と大伴の違い


今「誕生日プレゼント、自分の歳のワインなんて勿体無くて飲めない」に対して、
大「来年も買ってやるから」
今ケ瀬のすごく嬉しそうなハニかんだ、でもどこか切ない表情。
大伴は背中を向けていて。すごく泣いてしまった。
大伴はやっぱり違う。こちら側の人間ではないと再確認した。
大伴はこの関係性の意味を、怖さを、脆さを理解していない。
でもそうだよね。理解する必要なんて、あなたには無かったもんね。
私が、あなたを好きなんだもんね。

「来年も」と言ってくれたことが堪らなく嬉しい、泣けてしまうほど。
でもあなたにとっては何気ない一言、“約束“の意味は少しも無いと分かってしまった。
分かってしまうんだよ。こっち側の人間は、そういうのに敏感だから。
敏感なんだから、ね。

恋愛に、愛の形にあっちもこっちも無いと、関係無いって思えていたら違ったんだろうけど。
生憎自分でも気が付かないうちに。
いや気付いていたのだけど。
想像以上にマイノリティに苦しんで、歪んでしまったのかもしれない。
自分の感情に敏感で繊細で、だから他人の気持ちも分かってしまう。
あなたの言う来年は、私とは流れるスピードが違うのかな。
だってそんな片手で投げるように、目も見ず背中を向けたまま、言えちゃうんでしょ?
簡単に「来年も」なんて言わないで。簡単に期待させないで。
傷つきたく無いから、この関係の危うさを私は知っているから、簡単に期待して信じてしまいたくなってしまう。


俗に言う「BL」映画に心を持っていかれることが多々ある。

私はずっと、暗い所にいるから。
救われたい、救いたい、味方が欲しい、味方でいたい、認めてあげたい、受け入れて進んであげたい。許して、楽にしてあげたい。
苦しくてひとり心の中で泣いていた自分を、もう大丈夫だよって、楽にしてあげたい。

ね。忘れないで。
ひとりごと。

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