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マスカレイドを貴女と(2/9):ヨーセーの仮面

トイレから数歩ほどのところにある重い扉が、関係者用の裏出口となっている。周りに人がいないことを確認しながら、そそくさと外に出た。

マテリアルを後にして、大通りへと出る。今の僕は、ライヒではない。僕は土井陽征(どい はるゆき)、カリスマでもなんでもない、ただの地味な高校2年生だ。

陽征は、はるゆき、と読むのが正しいのだが、今までに一度も最初から正しく読まれたことがない。大抵、ヨーセー、と読み間違えられる。それがいつしか、親しい人たちの間であだ名になった。

15分ほど歩いた先にあるマンションが、僕の家だ。部屋に入ると、床のそこらじゅうに洋服の生地や裁縫道具が横たわっていた。その奥から、「あー、おかえり」という女の子の声が聞こえた。お団子頭の彼女は、熱心に針に糸を通している。

「……またなんで勝手に僕の部屋に入ってるんだ?自分の部屋でやればいいだろ?」

「ユキの部屋は、コスプレ衣装で埋まってるんだもん。これはにぃにの衣装だから、にぃにの部屋で作ってるの。にぃにの他の服を見ないと、ちゃんとサイズ合わせられないでしょ。次のやつもすごいよー」

「……どうすごいのかよくわかんないけど、また多分ゴシックなやつ?」

「ゴシックだよー。ところで、今日の衣装、着たんでしょ?どうだった?」

「ん、ああ?えーと、なかなかいい着心地だったよ。サイズも合ってた」

「いや、そういうことじゃなくて、にぃにの目から見て、衣装としてのクオリティは?」

「えーと、……確かに、ファンシーショップのパーティーグッズを改造したものとは思えない」

「でしょー?!」

ご満悦のこの女の子は、何を隠そう、僕の妹、土井ゆきである。読み間違えられようのないシンプルな表記だ。

キャリーバックから、さっき着ていた赤茶色のゴシックな衣装を取り出して観察する。確かに、目の前で見ても立派な衣装で、ハロウィンのコスプレ用の1500円くらいの衣装が原型だとは思えない。

これが、1人称が「ユキ」で僕を「にぃに」と呼ぶ癖が未だに抜けない小学6年生女子の手によるものだとは、誰も思わないだろう。

ユキは、小さい頃から裁縫が得意だった。家庭科の授業で、メイドが着るような立派なフリルだらけの豪華なエプロンを作って先生をドン引きさせたほどだ。

「にぃに、今日のライブはどうだった?」

「いつも通り。すごい盛り上がったよ」

「……テンション低いな。本当に盛り上がったの?」

「うん。ライヒ様がすごいカッコ良かった」

「ライヒ様って、にぃにじゃん。自画自賛じゃん」

「うん、まあ、そうなんだけどな……」

ユキは、ライヒの正体が僕であることを知っている。そして、ライヒの赤茶色のゴシックな衣装や、フリルの絡み付いた大きなテンガロンハットは、どちらもユキの手による作品である。素材はすべてファンシーショップで買った安物。スカル柄のピアスも、おもちゃのピアスを改造したものだ。

そもそも、コージュンに誘われてバンドを組み、初めてライブハウスに出演することになった時に、1週間前になってステージ上で歌うことになるというプレッシャーに押し潰されて布団に引きこもり始めた僕を見かねて、ユキが思いついた手段がこれだ。

「にぃに、ヴィジュアル系とか非現実的なの好きじゃん?あんなふうに正体わかんないくらいにゴテゴテにメイクして、衣装もゴテゴテなの着れば、緊張が和らぐんじゃない?衣装はユキが作るよ。メイクもするし」

冗談半分で言ったであろうユキのこの提案は、結果的に功を奏した。もはや自分ではない姿になってしまうことで、本番への緊張が和らいだ。

だけど、想像以上に正体不明になってしまったので、当然、バンドメンバー全員から「誰?」と問われることになった。

「あ、あの……、そのう、……よ、ヨーセーくんは、あまりのプレッシャーに堪えかねて、欠席するそうで、……だ、代理のボーカルの、……えー……あー……ライヒです」

「ライヒぃ?」

タクマさんが、訝しげな目で見た。

「だ、だ、大丈夫です、き、曲は、歌詞は、お、覚えて、練習してきて……います」

タツジさんは、なんだなんだ?という目をしているが、やがて手を叩いて言った。

「ま、ユルく楽しくやってけりゃー、それでいいからさー。ボーカルはぶっちゃけ誰でもいいんだよねー。よろしくー。ねえタクマさん。俺ら、エンジョイ勢だもんねー」

タクマさんは猜疑心を断ち切れないようだが、「まっ、しゃーねーな」と、一応は納得したようだった。タツジさんがテキトーな性格で助かった。

ライヒという名前に、特に意味も理由もない。ただ、好きなバンドの曲の語りの部分に、ヴィルヘルム・ライヒという人の名前が出てきたのが、たまたま脳裏をよぎっただけである。その場にあった本の作者の名前から取ってつけた江戸川コナンばりにテキトーな命名である。

ところが、コージュンだけは、誤魔化せなかった。メンバーで唯一、僕の連絡先を知っている。ヨーセーがライブに来なかったら、僕に何度も電話をかけてくるはずだ。それは困る。

なので、コージュンが来る前にLINEで事情を伝えておいた。

「なんでV系になってんだよwwwライヒって誰だよwww」という文とともに、爆笑しているスタンプが送られてきた。「これはお前と僕とだけの秘密だ。絶対黙っててくれ」とつけ加えておいた。「面白いから黙っとくwww」と返ってきた。コージュンがお茶らけた性格で助かった。


赤茶色でゴシックな衣装に身を包む僕が、ボーカル、ライヒ。

軽くブローした黒髪、といってもただの天然パーマの普通の高校生の、ギター、コージュン。

茶髪でチャラくてインダストリアルロックが好きな、ベース、タツジさん。

ピアスまみれで金髪モヒカンの、ドラム、タクマさん。

こんなに各自のスタイルがバラバラなバンド、見たことがない。バンド名は、FIN。

メンバーがちゃんと集まる前からタツジさんがつけていた名前で、特に意味はないそうで、「ナイン・インチ・ネイルズのNINみたいでかっこいいから」らしい。ちょっと何を言っているのか僕にはわからなかった。

その日のライブの結果は、まずまずといったところだった。ただ、初出演にしては上出来だと言われた。

タツジさんもタクマさんも楽器歴がかなり長いらしく、演奏力がかなり高い。ギター初心者だったコージュンはついていくのに必死で、途中で何度かトチっていたが、むしろそれが向上心に火を点け、練習に練習を重ね、今では互角に渡り合えるようになっている。

そして僕も、コージュンの家に行って、彼の弾くギターに合わせて歌の練習をしたり、腹筋を毎日したりして、ボーカルとして実力をつけようと頑張った。

月に数回のライブを重ねるたびに、FINは人気を増していき、さらにコージュンはどんどんライブハウス関連の知り合いを作り、ついには自分でバンドを集めてマスターに自主企画を持ち込むまでになった。僕はブッキング関係のことは何もわからない。全部コージュンに任せっきりだ。

僕にできることは、ただひとつ。架空のカリスマボーカリスト、ライヒを演じることだけ。

そして、たぶんFINはもうそろそろ限界だ。音楽的にもルックス的にもどこを目指しているのかさっぱりわからない。その訳のわからなさが人気の理由になってしまっている部分もあるのだけど。

そして、ライヒの内的な問題。

表面上はタクマさんもタツジさんも僕に気を遣っているが、正体を隠したままずっとバンドメンバーとして付き合っていくなんて無理だ。

でも、ヨーセーはライヒにはなれない。

こんぺいとう**メーカーで作った、ユキちゃんのイメージ図。たぶんこんな子。実際の小6ってもっと大人かも。

FINは、いやもうどう考えても無理があるだろ……みたいな設定をわざと作って妄想して遊んだ感じです。『BECK』みたいなカッコイイ出会い方は実際はなかなかなさそうだし。いやあるのかな?バンド経験がないのでわからない。

ヨーセーはたぶん、親友のコージュンとそこそこ仲のいい妹のユキちゃんがいなければ、教室の隅で重松清とか読んでこの世を憂う世界線に進んでいました(とかいう裏設定)。

サウナはたのしい。