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ほんとうは偉そうにしたい

日本の古くからの習慣として、「へりくだる」というものがあります。

相手には尊敬語で話し、自分の動作に関しては謙譲語で話すというのが国語の教えで、目上の者に対してはもちろん、他人と関わる際は常に謙虚な気持ちで、というのが良しとされている。

もちろん言葉づかいは大切なのですが、自分はこれを拡大解釈していて、「自分は下位にいる者である」、もっといえば「自分はダメな人である」と思い込んでいました。

いや、社会的には実際に少なくとも上位ではありません。お金持ちじゃないし管理職とかに就いているわけでもないし、持っている資格も自動車免許と書道の段くらい。それもAT限定だし、いちおう持っているといっても2段だから師範代とかになれるわけではないし。

そんな愚か者は地を這うように生き、できるだけ声を潜め、雨にも負けず風にも負けず、欲はなく決して怒らず、いつも静かに笑っているが良い。心きよらかにやすらかに。


そう思っていました。が、無理でした。

雨が降ったら仕事に行きたくないし、風が吹いたら帰るのがめんどくせえし、900おくせんまんえん欲しいし、電車で足を伸ばして邪魔な奴がいたら脳内で舌打ちするし、毎月セブンイレブンのATMでPayPayに数万円単位でチャージしている時がたぶんいちばんいい顔をしている(銭湯・サウナは除く)。

宮沢賢治先生のようにはなれないのです。先生は性欲に支配されることを拒み、G行為を全くせず、生涯ずっとDTだったそうですが、自分はもちろん行っており、なおDTに関しては滋賀県の某所で(以下ゾーニング)。いやそんなことはどうでも良いです。


いま流行りの『うっせぇわ』の歌詞が、子供が真似するので困ると物議を醸しているようですが、昔からその手の激しい歌が若者の間で流行る現象そのものは尾崎豊さんなりBOOWYなり黒夢なりあっただろうから、なんの不思議もないと思います。

ただ、親の前で歌うのはよろしくないですが。

自分も親の前で「人の不幸は大好きサ」とか「カマキリを燃やせ」とか歌ったことはないので、未成年の皆様はそこらへん気をつけましょう。大人になったときに空気が読めなくなって困るぞ。主にあんまり親しくない人とカラオケに行くときとかに。

ただこの歌、昔のプロテストJ-POPソングと違うなあと感じる部分がひとつあって、それが「私が俗にいう天才です」という部分。

世を非難する内容の歌は過去にもたくさんあれど、「オレ天才、オレ最高」と自ら主張する人はあんまり見たことがない。

そして、むしろ共感を生んでいるのは社会通念に対する愚痴めいた歌詞よりも、どっちかというとこのセンテンスなんじゃないかという仮説が自分のなかであります。最近の子供に知り合いがあんまりいないから知らんけど。

いや実際、自分はここにけっこう衝撃を受けました。

そんなこと言っていいんだ、と。日本古来からのへりくだる文化からすれば真逆なんだけど、でも本当はちょっとくらいは偉そうに振る舞いたいよなあ、と。結局、自分がかわいいですから。

できるだけ他人に指図されたくないし、できるだけ好きなことしたいし、できるだけワガママになりたい。

でも実際は他人に迷惑をかけたら怒られるし、仕事を辞めたら親が泣くし、借りたものを返さなかったら友達がいなくなる。

多かれ少なかれ我慢しているだろうし、宮沢先生ほどではないにしろ、我慢している自分は雨にも風にも負けていても、ナイフのような思考回路を持ち合わせず正気で生きている。それだけでもじゅうぶん偉い。

だから自分はこの歌、けっこう好きです。親の前では歌わんけど。


サウナはたのしい。