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マスカレイドを貴女と(6/9):霧島さんの素顔

今日はスーパーが棚卸しで閉店ということで、いつものレジ打ちではなく、ひたすら店内の在庫確認作業を行っている。ハンディと呼ばれる小さな機器を商品のバーコードに通し、本来あるはずの数量と合っているかどうかチェックする。ずっとデジタルの数字ばかりを見ているのでゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。

「土井くん、10時まで残ってくれないかな」とチーフに言われた。ラッテちゃんを入れた新バンドのスタジオ代やライブ出演料のためにお金が欲しいので、引き受けることにした。

頼まれた棚の作業を終えて、次にする仕事は何かをチーフに訊こうとすると、覚束ない手でよたよたと作業をしている霧島さんの姿が見えた。チーフは溜め息をついて、「霧島さんまだ終わらないみたいだから、手伝ってあげて」と言った。

「えーっと、どこまで終わりました?」僕が問うと、霧島さんは無表情に「ここ」と指さした。まだ半分以上が残っている。そのペースだと今日じゅうには終わらないだろう。なんとか作業を終わらせた頃には、10時半を過ぎていた。

今日は遅いからと先に親に言っておいたので、晩ごはんは自分で適当に買って来なければならない。まあ家の戸棚にカップ麺くらいはあるかもしれないが、いつもより重労働ですっかり疲れてしまったので、がっつり食べたい。牛丼屋にでも行こうか。

裏口を出ると、霧島さんが突っ立っていた。帰らないのかな?まあどうでもいいか。「お疲れ様です」とあくまでも事務的に言って立ち去ろうとした。早く何か食べたい。

と思っていたら、手を捕まれた。そして、霧島さんは困ったような顔で言った。

「このあたりで。この時間まで開いてるスーパー、教えて」

「……?」

「……バス、逃してしまって」

「はあ……」

「できれば、あの、家の近くまでついてってくれたら」

「……家、遠いんですか?」

「30分くらい」

「そこそこ遠いですね」

よくわからなかったが、とりあえず従うことにした。この辺りは閑静な住宅地なので夜は人通りが少ない。ただでさえぼんやりしている霧島さんを放って帰るのも少し心配だ。

家とは反対側の通りをまっすぐに歩く。普段はあまり歩くことのない通りだが、確か少し先の裏路地には100円ローソンがあったはずだ。目立たない位置にあるので、地元の人でなければ見つけにくいだろう。

会話がないまま、5分ほど歩いた。どうにも気まずい。かといって、霧島さんと何を話せば良いのかわからない。音楽とかバンドに興味はあるのだろうか。ユキみたいに将来の夢はファッションデザイナーなのだろうか。実は家ではラッテちゃんみたいにコスプレしていたりするのだろうか。

「……音楽、流していい」

不意に霧島さんが口を開いた。あまりにも淡々と話すので、そのセリフが疑問形なのだと理解するのに時間がかかった。

「はい」

なんだか間抜けな返しだなあとは思ったが、他にどう返せというのか。霧島さんはスマホを取り出し、スピーカーから小さく音を鳴らした。

「あの、……イヤホン使わないんですか?」

「……忘れた」

「……僕ので良ければ、持ってますよ」

カバンからワイヤレスイヤホンを取り出し、片方を差し出した。霧島さんは無言で受け取り、左耳に挿した後で「ありがとう」と言った。「ありがとう」の言い方に、少しだけ抑揚が付いていた。なんとなく、この人は誤解されやすいんだろうな、と思った。

「僕も聴いていいかな?」と言った。霧島さんは、どんな音楽を聴くのだろう。もう片方のイヤホンを耳に挿すと、聞き覚えのある曲が流れてきた。どうやら知っている曲だ……。

「え?」思わず、声を出してしまった。知っているなんてものではない。これは……『マスカレイド』。コージュンと僕が作った曲。おそらく、少し前にマテリアルに出演した時の音源だ。

「霧島さん、FIN知ってるんですか?」

「……知ってる」

「ライブに行ったことは?」

というか、FINはCDなど出していないし公式SNSがあるわけでもない。マテリアル以外のライブハウスの出演歴もないので、ライブに行かなければまず知らない。誰かからの口コミで知って、ラッテちゃんと同じく、ルール違反だと知りつつこっそり録音したのだろう。

僕の問いに、霧島さんはうつむいて頷いた。なぜか照れているようにも見えた。

しばらくFINのライブ音源を聴いているうちに、もう100円ローソンに着いた。

面倒なので晩ごはんはもうここで買ってしまおう。まず、カゴにレンジアップのうどんを入れる。これだけじゃ足りないかもしれないので、おにぎりを3つ。深夜の見切り品なので半額。ありがたい。霧島さんは何やら野菜を大量に買っていた。訊いて良いことかどうかよくわからないが「自炊ですか?」と軽く尋ねた。

霧島さんは小さく頷いた後、「……妹に」と続けた。「きょうだい、いるんですか?」思わず問い返してしまった。正直なところ、少し意外だ。

「……かわいい」

少し間を置いて霧島さんが呟いたので、そのひとことが妹のことを指すのだと理解するのに時間がかかった。「妹、かわいいですか?」相手の言ったことをそのままくっつけているだけの間抜けな返しだ。

「今から、迎えに」

「あ、そうなんですね。もう10時半ですけど」

「塾……」

「ああ、なるほど……。それでも遅いですね」

「…………階堂(かいどう)高校、目指してる」

階堂高校は、地区で最も偏差値が高い名門校として知られている。校則が緩く、登下校時の服装や髪型が自由なことでも有名だ。妹は中学3年生だろうか。

そこからしばらく歩いた後で別れた。別れ際に、肩を2、3回たたかれた。それが「ありがとう」の意味だと理解するのにまた時間がかかった。やっぱり霧島さんは誤解されやすい人なんだろうな、と思った。

「無気力男子メーカー」で作った、ヨーセーのイメージ。ヨーセーは無気力というほどではないのですが、少なくともテンションが高いイメージではないので。あと、ファッションセンスは実際はもっとダサいはずです。

100円ローソンって、自分の地元では「ヒャクロ」と略して言うのですが、これは地域や世代によって違ったりするのでしょうか。たまにユーロホップっていうベルギーの発泡酒が置いてあるのがありがたいですねヒャクロは。

サウナはたのしい。