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スチロール粉

食品トレイだとか、家電の緩衝材だとか、日常的に発泡スチロールはすぐそこにある。
今回言及したいのは、後者の方。家電の緩衝材や鮮魚店でもらうほうのつぶつぶが集合したタイプの発泡スチロール。分厚いあれ。

義母がよく、新鮮なお魚やイカを持ってきてくれることがあって、その時にいつも発泡スチロールの箱にお魚と氷を入れて持ってきてくれる。
「はい、これとこれね。ほら!おいしそうでしょ」
「わあ本当ですね!フライにしようかなぁ」
「これはお刺身にしたらいいわよ。せっかくなんだから」
「じゃあそうします。楽しみだなぁ。うふふ」

なんて会話を繰り広げているその後ろで何たる素早さだろう、息子は発泡スチロール箱の蓋の端をちぎっている。
「あ!やめなさい」

というが早いか、息子は調子に乗ってがりがりと爪を立てて発泡スチロール粉を部屋中にばらまいていく。
この悲劇分かりますか。
想像の何倍も悲劇だということをあなたはまだ知らない。

ため息とともに回収しようとするも静電気がすさまじく、集めることが困難なのだ。手でかき集めるにも手のひらにふぁーふぁーくっついて取れやしない。一粒ずつ指でつまむも、今度はつまんだそれが指から離れない。
ほうきにもくっつく、ちりとりにもくっつく。もうどうしたらよいのか。
ならば掃除機の出番ですよと、ダイソンを走らせる。切ないモーター音をかき鳴らしてダイソンはスチロール粉を瞬く間に吸い込んでいく。

が、集塵ボックスの中で内部側面にふぁーふぁーくっつく発泡スチロール粒。ダイソンはワンツーステップで簡単にゴミが捨てられるはずだった。発砲スチロールさえ吸わなければ。
集塵ボックスの中から発泡スチロール粒を回収するためにまたひとつぶひとつぶ指でつまんで、あぁ、取れない!!を繰り返す。
どうです。この八方ふさがり。先が見えない労働に希望が見いだせない。
まるで蟹工船のよう。

結局最後は、取り切れなかったスチロール粉に目をつぶって、ぬるい諦めとともにいつも幕を閉じるしかない。
子育ては常に、諦めを選択する心の強さを試される。
スチロール粉しかり、毎日こぼれる牛乳しかり。


と、ここまで書いて、気が付いた。
静電気ならば濡らせばよかったのでは。
雑巾とかで、ねぇ。

#エッセイ #育児 #子育て #発泡スチロール

また読みにきてくれたらそれでもう。