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人の意識はどこからやって来るのか?

いまのところ僕は生きているし、この記事を読んでいる君も生きている。
毎日当たり前のように息を吸って吐いて、そして何か考え事をする。
でも、だけれどその考えは、思考は、意識は、意思は果たしてどこからやって来るのだろうか?
普段物事を考える時は脳を働かせるだろうから、ヒトの部位的に言えば脳からくるのだろうが、たかが神経と豆腐みたいな柔らかさの肉の塊の集合体だけで何故こんな高度な言語を操れたりするのだろう。
いやはや不思議だ。
それに、人間の行動は日々の慣習によって固定化されているものが多々ある。
そんな中で新しく何か目標を定めて、それに向かってただひたすらガムシャラに前を向いて一途に努力するという熱血スポーツ漫画的なこともするのだ。
こうなってくると何処から何処までが意思で、何処から何処までが慣習なのだろう。
例えば人間が歩く時、鍛えてるとか余程のことがない限り普通の人が歩いていても歩くことに対して何か注意することはないはずだ。
ボーっとしていたり、何かその時の状況に合わせて考えを巡らせている。
歩くという慣習の中で考えを巡らせるという、無意識のうちについやってしまっている意識的なこと。
そしてその意思は、思考は、意識はやはり何処から芽生えてくるのだろう。
この無限に連なっているだだっ広い宇宙の中で偶然的に生まれてしまった僕らだが、進化に進化を重ねて来たステージが今立っているこの場所だ。
小説や漫画や映画みたいな作品として大きく表に出たり、秘めた思いとして永遠に葬り去られてしまった止めどない思考だって全ては各々の宇宙の広さに比べればスケールが小さいであろう頭から生まれた。
この頭が、この地球でふんぞり返って生物の頂点ヅラをしてるヒトの思考や習慣を掌って手足臓器だって幅広く支配する。
頭には超高性能コンピュータが、目にはレンズが、主に手足には触覚が。
人間って突き詰めていけば突き詰めて考えていくほどに存在そのものがやっぱり不思議に思えてくる。
確かにここに体は存在しているはずなのに、生まれた時から書類でがんじがらめにならないと身分すら保証できないほど不安定。
この意思だって、何かに衝突した瞬間ものの数秒で簡単に消えてしまいそうなくらい不確定。
もしかしたら生きているのかも疑わしい、ふと夢から覚めたら無かったことになりそうなくらい儚い人生を生きている僕ら。
果たして意思はどこから芽生えてくるのだろうか。

聡明なあなたなら、すぐ分かっちゃうかもね☆

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