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いちごあじのスキー場

冬。北陸は数年前までは本当にたくさん雪が降った。

12月頃には町中が雪景色へと衣替えを終え、空は彩度が抜け落ちて灰色に染まった。毎日脚がひりひりする程しもやけして、学校から帰るとヒーターの前に兄妹ふたりで体育座りするのがお決まり。今ではすっかり雪が減って、冬休みには積もった雪を見ることは叶わなくなった。


以前は、冬になると我が家ではスキーに出かけるのがあたりまえだった。父と母はアウトドアが好きなひとで、春はキャンプ、夏は海・川、秋はキャンプ、冬はスキー、と季節を体感するような遊びに私たちを連れだした。

父は運動が得意で、物事をわが子に教えるのがとびきり下手だった。小さな私には、めったに家にいない父は怒ってばかりいる怖い人に見えていた。父と私の腰に一本のゴムひもを繋いで、父が前を滑り、その後ろをひたすら私がついていく。そういうふうにしてスキーを習った。

「なんでこんなこともわからないんだ」と叱られると勉強が嫌いになるように、「なんでできないんだ」と言われ過ぎてスキーは嫌いになってしまった。滑っては雪に顔から転び、転んでは泣いて、怖くなって、足がすくんで、それでも勇気を出して滑ったら、力が入らなくてそのまま転んだ。

べしゃっ

「いたい」

どうしてお父さんはこんなに怒るの、どうしてスキーなんかしなきゃいけないの、みんなどこにいるの、いたい、見えない。

一面雪景色で家族をだれも見つけられなくなって、雪山でひとりぼっち。もういやだ、とすぐに泣き出してしまう。

「また泣いとる」

そんなときは後ろから、母がとなりに滑ってきて苦笑いをする。いたい、さぶい、と泣きつく私を、うんうん、そうやね、とひたすらになだめる。

「ちょっと待って」

母はポケットに手をやって、ほら、と私に、いちごの飴を差し出した。イチゴの柄の入ったキャンディの袋。私の大好きないちごの飴を、母は必ず持っていた。

「食べ」

ぐずぐずと鼻をすすりながら、飴をほおばった。ぱく。肌を刺す凍てつく風が嘘のように、視界を埋め尽くす雪景色が嘘のように、じゅわぁ、と、飴が舌の温度であたたかくほどけていく。コロコロと口の中で転がせば、甘さがゆっくりと浸透して広がる。ほう、とひと息つく。

「あまい、うまい」

そうつぶやいたとき、気づけば私は泣き止んでいて、母は私を見てにっこりと笑った。

母は決して、一度にたくさん飴やチョコをくれることはなく、私が転んで泣いていたり、疲れて休憩していたときにだけ、滑って近づいてきて、ご褒美にひとつだけくれる。さすが母親、私の扱いを心得ている。

つらいと思って、泣いていても、ひとりぼっちではなかった。


空は彩度が抜け落ちて、地はすこしの隙間もなく雪のベールを被っている。どうしてスキー場で食べる、いちご味の飴が、涙にぬれていた世界の色を変えるくらいの力をもっていたんだろうか。

ひさしぶりにいちごの飴を食べた。この飴を食べると、スキー場を思い出す。すっかり今では、スキーを楽しいと思えるようになった。けれど、自分で買って一人で食べても、あの頃の味の足元にも及ばない。何個たべても、あのときのほうが、もっと、ずっと、甘くて、とけるようで、美味しかった。母のポケットから出てきた飴とは、あきらかに別物だ。

もしかしたら母は、魔法使いだったのかもしれない。

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