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公共って何?(3)

前々回から公共とは何かと考え続けています。

前回までに、公共かどうかの線引をできそうなものを見てきて、ちょっと違うなというものを消してきました。


直感的に正しそうな色々な仮説を消していくと、人が行うすべての活動は公共的なものなのかもしれないとすら思えてきました。でも、まっとうな常識にそって考えてみると、犯罪や人に迷惑を掛けることは公共ではない気がします。自分だけの趣味の話も少し違う気がします。


まだ仮説の段階ですが、私達が「公共」として考えているものは、「他人」が対象であって、さらにそれが「よいこと」でなければならないような気がします。現段階の仮説を明文化しておきましょう。

公共とは「他人の幸せにつながる行為」

こう考えると、福祉サービス、道路工事、まちづくりなど現代で役所や役場がやっている諸々のサービスも当てはまりますし、初回から例で出していた鉄道や電話など便利なものも当てはまる気がします。儲けがでているかどうかも関係ありません。


ただ、この定義ではまだしっくりきません。「他人」とはどこまでが含まれるのでしょうか?自分の家族を幸せにすることは公共ですか?近所のお友達でも公共でしょうか?どこまで含まれるのか、だれを含まないのかということが問題として残ります。


また、「よいこと」とはなんでしょう。よいこととは誰が決めるのでしょうか。そして、人は誰かのためによいことをしなければならい、すなわち公共に関わらなければならないのでしょうか?

少しだけ話を先取りすると、現在の日本では憲法で国民が主権者であることが定められています。しかし、振り返ってみると主権者が国民になったのは、人類の歴史でもわりと最近のトレンドですし、未だにそうなっていない国や地域も存在しています。ここでもそもそもから考え始めると「他人」も「よいこと」も時代によって解釈の幅が出てきそうです。公共を考えるには、「現代の日本」というわりと特殊なケースだけではなく、色々なケースをみておくことが必要そうです。
引き続き、公共とは何かを考え続けていきますが、話をすすめるためにも寄り道が必要そうです。歴史の話、法の話、経済の話などに寄り道をしながら、進めていきたいと思いますので、お付き合いいただければ幸いでございます。







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