下肢装具と潜在性

先日、装具の勉強会があって、以来ちょっとモヤモヤしていたことを書いてみようと思います。ちなみに脳卒中の片麻痺の方を想定した勉強会でした。よろしければ、少しの間、お付き合いください。

あれ?と思った瞬間

勉強会での後半、何例か歩行の動画を見ながら、装具を作るか作らないか、そう考えるのはなぜか、というのをディスカッション形式で話し合いました。
その中で、「潜在性がありそうだから、まだ作らずに様子を見ていいと思う」という意見がありました。

最初に言っておきますが、この意見自体の是非を問うつもりなわけではありません。

そういう考えもあっていいと思うし、それでうまくいくなら全く問題ありません。

ちゃんと意見を口に出して言えただけでも、十分素晴らしい事だと思います。

ただ、ちょっとモヤモヤしました。

潜在性とは

せん‐ざい【潜在】 の解説
[名](スル)表面には表れず内にひそんで存在すること。「潜在する能力を引き出す」⇔顕在。
(goo辞書)

ですね。

で、前に挙げた意見を改めて見てみると、「装具を作る=潜在性を損なう」と考えているということがわかります。
装具を作ることで、内に潜んでいる能力を損なうことになるのではないか。
なぜ、そう考えたのでしょうか。

装具への認識

おそらく、装具は「矯正する道具」であり、「できないものを補う道具」であると認識しているのではないでしょうか。
麻痺側の足部や足関節、あるいは膝関節が上手く使えないから、「固定して、矯正して、補う」というイメージ。
そのイメージからは、「装具はできないから使う物」という負の認識があることが伝わってきます。
そして、「装具で補われた機能は、使われずに失われていくんだ」という考えも伝わってきます。

・・・・・・・・あ!

そうか。

私は今、書きながら、はっとしました。

ちょっと脱線しますが、勉強会中、後輩からなんとか意見を引き出そうと思って、「何ができないから装具が必要だと思う?」なんて聞いていましたが、これは間違った質問だった気がしてきました。

そう。

装具には、確かにそういった一面もあり、否定はできません。
しかし、少なくとも病院で作成する「治療用装具」は、「できないものを補い、機能を失わせる道具」ではないと思っています。

本来の用途

これは私の意見なのですが。

装具は「適切な感覚入力を手助けする道具」だと思っています。

この認識においては、機能的に不具合を持っている箇所に対し、どのような感覚入力が損なわれているから適切な出力に繋がらず、動作遂行の妨げとなっているのか、という視点を持つことを意味します。

それは、「できないから補う道具」という発想ではなく、「できていない理由に対してアプローチし、改善を促す道具」というスタンスです。

機能を補って使わせないどころか、むしろ機能を使って頂くことに焦点が当たります。

言い換えれば、これは、潜在性に対するアプローチです。

そう思います。

終わりに

装具への認識は、ある程度自分で前向きに勉強してみないとなかなか変えられるものではないかもしれません。
もちろん装具を作成せずに十分な治療が可能であるなら、それでいいと思います。
自分も必ず作っているわけではありません。

ただし、これは以前も言いましたが、装具については「作る決断」より「作らない決断」の方が責任重大であり、難しいということは知っておいていいような気がします。

しばらく作成せず、後から「やっぱり必要なので、作りましょう」では、患者さんの落胆や失望は大きいでしょうし、セラピストへの信頼はガタ落ちとなっても不思議じゃないと思います。
(関連した内容を↓に書いています)

作製にも時間がかかりますし、リハビリの進行は大きく遅れることになります。

動作分析等の臨床上の所見だけでなく、脳画像も必ず確認し、作らないなら作らないで、「○○△△◆◆なので、作成の必要は無いと考えています!」と他者を納得させられるだけの根拠を示せるようにしておきましょう。


文章にしたら改めて気づきがありました。やっぱりこういう機会、大事ですね。

最後まで読んでくれた方は、本当にありがとうございました!

ちなみに装具に関してはまだまだ思うところがあります。
以前にこのnoteでも一度書いていますが、noteを書き始めたばかりの頃のものなので、無駄に長ったらしく、しかも分かり辛いので、ここでは紹介しません!

なので、そのうち、また改めて装具について本腰を入れて書こうかと思っていますので、その時はよろしくお願いします!

少しでも臨床のヒントになる投稿をしていきたいと思っています。 サポートして頂けると非常に励みになります!