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空気を読むこと、空気に支配されること。空気ってなんだ?:「空気」の研究


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2020/10/16

こんにちは。HACOです。

季節が変わってきて、だいぶ寒くなりましたね。

COVID-19 の影響が社会的な影響を及ぼすようになって、半年以上が経過しました。急性のストレスだけでなく、予防対策や自粛感の継続など慢性的なストレス状況下にありながらの生活が継続しているため、心身の疲労や不調が表出しやすくなってきていると思います。仕事に行きたくない、学校に行きたくない、体のどこかが痛い、眠れない、憂鬱な感じが強くなってきたなど、変化に対する反応として、いろいろなことが噴出してきてもおかしくないくらいの時間が経過しています。

そんな時は、一呼吸おいて、休息をとることから。一息つくことについては、また今度まとめますね。

さて、今日は「空気」について。

空気ってなんだろう?


空気(くうき)とは、地球の大気圏の最下層を構成している気体で、人類が暮らしている中で身の回りにあるもの。一般に空気とは、無色透明で、複数の気体の混合物からなり、その組成は約8割が窒素、約2割が酸素でほぼ一定である。

というようなお話しではないです。「場の空気」という感じにするといいのかな。顔色をうかがう、同調圧力、過剰適応、忖度などなどにつながら空気・空気感について。

山本七平:「空気」の研究を原著を読もう感と思いましたが、100分de名著で開設されていました。オーウェル:「一九八四年」の解説もはいっていて、「メディアと私たち」という興味深い特集だったので、こちらを読むことに。

「空気を読む」って、どういうことだろう?ということを話し合ってもらうことがよくあります。察すること、同調すること、空気を読むことのメリット・デメリットなどなど、いろいろな意見や価値観が出てくるので楽しいディスカッションになることが多いです。

本の内容(空気の研究の項)をすこしだけ。

「キリスト教と戦争体験」「一神教との対比で語る日本人論」という山本七平の背景と合わせての説明、「空気」とは何か、「臨在感的把握」が空気をつくる、対立概念の排除などの「空気」について、また、「空気に支配されないためには」など、多くはないページ数の中に示唆に富む話が凝縮されています。

「空気」の要件として、大前提として集団に帰せらるものという中で下記のことがまとめられています。

①一緒にいる人たちのあいだでシェアされる
②普遍性がない
③一枚岩である
④個人の判断から独立いしている
⑤明示されない

そして、空気は、何でもないものや、何でもない言葉に、その実質的機能や意味内容とは別の、プラスアルファの力を感じてしまう、霊か何かのようなものが臨在しているように把握される「臨在感的把握」「空気の基本型」であるといいます。

読み終わった後に、「空気」って結局は何なんだ?って、謎が解けたような、謎が深まったような、不思議な感覚に。これも空気か。

細かいデータおよび明確な根拠があるにもかかわらず、科学的根拠の全く無い判断が「空気」によって最終的に決定されるようなことがしばしば散見される世の中。

「それ(空気)は非常に強固で、ほぼ絶対的な支配力をもつ『判断の基準』であり、それに抵抗する者を異端として、『抗空気罪』で社会的に葬るほどの力をもつ超能力である」

空気を読まないと、村八分になってしまうという。…抗空気罪とは恐ろしいけど、それって、この半年の社会をみていると、その空気はあるような気がしますね。自粛警察という何かが生み出されたり。

「空気に支配されないためには」の座談で、「空気」に対して、「水を差す」という比喩が紹介されています。「空気」の支配に対して、「そうじゃないのではないだろうか」と「水を差す」ことで、「空気」をなくしていくということが大切であると。

日本人の空気を読む行動パターンの分析や文化についてなど、気づきが多くありました。

「その場しのぎ」がずべて悪いということではないですが、「空気」とはその場のもので、日本人はその場のことしか考えていないと。100年後のことを考えた場合に、いま必要なことは何だ?目的や本質はどこにあるかなど、目的論的な思考があれば「空気に流されなくなる」可能性も増えるといいます。日本人のその場の空気を読むことも大事だと思いますが。

上司の顔色をうかがいすぎてしまうことや、じぶんの意見があっても言えないことなどの日常的なことから、どう生きるかという価値観につながるような発見が「空気」を考える中に見えてきました。

当たり前のように使っている「空気を読む」の「空気」について再考してみることで、新たな発見があって面白かったです。

当たり前と思っていることを再認識すること

これは、みんなで考えてみると多様な意見が出てくるので興味深い話し合いができると思います。

オーウェルの「一九八四年」も、かなり前にビデオ(VHS)で見たときに、その近未来のディストピアな「空気感」に圧倒されましたが、その話はまたいつか。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日もよい一日を。

それでは、また。


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