スピリチュアル再入門 第10章 祈り2

シルバーバーチの霊言より



Q 祈りには、応答があるものでしょうか

A ときどきです。しかし、それは、祈りと動機によります。しばしば人々は、本人の進歩の妨げや、人生の計画を混乱させることになりかねないため彼らに与えることができないものを要求して祈ります。祈りは、人間が何かを要求して、そして私たちが会議を開き是非を言うようなものではありません。祈りとは、あなた自身をより高い霊的領域と調和させることです。その祈りによって、あなた自身の状態を応答がやってくることができるものにすることです。
『シルバーバーチの霊訓3』H・S・ホームサークル編 近藤千雄訳(P140、141)『Wisdom of Silver Birch』(P86)


「真の祈りは、あなたが他者に役立つための身支度ができるようにすべきです。
 祈りは、あなたをより高い力と調和させるための手段です。
 私が述べている祈りとは、誰かがその意味するところを理解せずに書いた言葉を繰り返すことではありません。
 あなたの魂と心で真摯な願望をもって、あなたの魂が到達できる最高の高みに届こうとする祈りのことです。
 そして、その祈りによって生じた霊感で満たされ、あなたはより強くなるのです」
『シルバーバーチの教え』A・W・オーステン編 近藤千雄訳(P133)『Spirit Teachings』Edited by A.W.Austen (P76)


「真の祈りとは、その人の魂を、これまで到達していたところから更に高いところへと舞い上がらせようとする霊的な行為です。
 自らを高めたい、役立てたいと切望する祈りは、結果を生み出します。
 あなたの抱える問題すべて、大霊(神)には知れています。
 大霊は、その性質上、宇宙の出来事すべてに精通しています。
 大霊は、自然の摂理の背後の叡知です。
 したがって、その摂理をごまかすことはできません。
 大霊をごまかすことはできません。
 あなたは、あなた自身ですらごまかすことができないのです」

 『シルバーバーチの霊訓6』S・フィリップス編 近藤千雄訳(P47)『Silver Birch Speaks Again』Edited by S.Phillips (P29、30)



「祈りとは魂の表現です。そのことを分かり易く説明しましょう。祈りとは光明と導きを求める魂の叫びです。

 その行為そのものが回答をもたらすのです。なぜならその行為が思念の力を動かすからです。

 その力が原因となって回答を引き寄せます。回答が祈りの効果です。
 どんな霊もあなたが何を祈るかを待っている必要はありません。
 なぜなら、あなたの祈りの本質は、即座にあなたの祈りが届けられる界層の霊に届くからです。
 あなたの祈りが届く界層は、あなたの魂の進化に応じたものです。

 霊たちも役立つことを切望していますから、あなたの思念の力に、霊たちの力も自然と加わります。
 霊の一部でもある思念の波を、あなたが動かしたのです。
 これは、宇宙の力を、あなたの進歩と調和した範囲で働かすことができるということです。
 祈りによってあなた自身を、あなたが入手可能な力を活用できるような状態にしたということです。

 祈る人の進化の程度によっては、意念をある一つの理想に集中する必要があるかもしれません。それが魂の助けになるならば、私はそれを否定しません。しかし、大霊、生命の摂理、宇宙の自然法則、こうしたことが大切です。

 大霊は完全ですから、大霊の摂理も完璧です。完全であり、発現を求めている大霊の一部があなたの内にあります。
 あなたが、祈りを通して奉仕を通して、霊性を発現させるにつれて、あなたの内の大霊が発揮されるようになります。
 祈り、奉仕、自身の魂を向上させようとすること、他者の魂を向上させようとすることは何でもすべて、あなたの進化を助けます」



「自然に湧き出る祈り、役に立ちたいと願う祈り、知識や光明、叡智、導きを求める祈り、こうした祈りは魂の進化の表れです。
 あなたの精神は、物的な身体の一部ではなく霊の一部です、大霊の一部です。
 それは、大霊に由来する力を持っています。しかし、この力を使えるようになる前に、魂の進化を通して学ばなければなりません。
 そうでなければ、この力は顕現できません」

『シルバーバーチの教え』A・W・オーステン編 近藤千雄訳(P138~140)『Spirit Teachings』Edited by A.W.Austen (P79、80)



「衷心からの祈りは、その祈りそのものの力によって波動を高め、より高度なエネルギーを活用することができるようになります。
 祈るという行為そのものが魂を開かせるのです。
 もちろん全身全霊をこめた祈りのことです。
 
 お決まりの文句の繰り返しでは祈りとは言えません。
 
 真実の祈りは偉大なる霊的行為です。
 祈りはあくまでも手段であって目的ではない――これが最も正しい表現でしょう。

 祈りはひとつです――どうか私を役立てる方法を教えてください(Teach me how to serve)――これです。
 
 “大霊に奉仕したい、大霊の子等に役立ちたい”――この願いより崇高なもの、これ以上の愛、これ以上の宗教、これ以上の哲学はありません。
 どのような形でもよいのです。
 大霊の摂理の一部である霊的な真理を伝えること、飢えに苦しむ人に食物を与えること、暗い心を明るく晴らしてあげること。
 
 人のために役立つかぎり、どの方法でもよいのです。

 
 自分自身を忘れることや他者に奉仕することを習得すればするほど、それだけ霊が発達します。
 霊とは、あなた方の一人一人の内に宿る大霊のことです。至って単純なことなのです」

『シルバーバーチの教え』近藤千雄訳(P134、135)『Spirit Teachings』Edited by A.W.Austen (P77)


「祈りを正しく理解するには、その目的をはっきり理解すべきです。
 単に願いごとを口にする、決まり文句を繰り返すだけでは何の効果もありません。
 聞き古された言葉を大気中に放っても、誰も惹きつけませんし、どんな活気ある力も創造できません。

 私たち(霊の世界)は、型にはまった文句に興味はありません。
 
 ロボットのように繰り返している言葉のその意味について考慮することを止めて久しいため、それを口にする人自身が、その内容には無関心であるのが普通で、そこに誠意がありません。

 しかしながら、真の祈りにはそれなりの価値があります。
 
 しかし、いかなる精神的行為も、身をもって果たさねばならない地上的労力の代用とはなり得ません。

 
 祈りは、自分の義務を回避しようとする臆病者の避難場所ではありません。
 
 祈りは、人間として為すべき仕事の代用にはなりません。
 
 祈りは、責任を逃れる手段ではありません。

 祈りは、大霊の摂理をかいくぐる手段ではありません。
 
 いかなる祈りも、そのようなことはできません。
 
 いかなるものも、絶対的な原因と結果の法則にほんの少しでも変更を加えるようなことはできません。

 役立ちたいという心、その責務と任務を自覚した心、この心から湧き出る祈り以外は、すべて無視してよいのです。
 そうしたあとに残るのが、祈りです。
 心霊的、霊的な行為であり、応答をもたらす特定の振動を生じさせます。
 その応答は、必ずしも本人の期待した通りのものとは限りません。

 しかし、祈りの行為によって生じた振動がもたらす自然な結果です。

 もしもあなたが、あなたを悩ませる全ての問題と困難に対し、正直で公正に真正面から取り組んだならば、もしも、その解決のためにあなたの力をその限界まで試し、なお失敗に終わったならば、その時あなたは、より高い力、より偉大な魂に対し、彼らがあなたの困難に光を与えるように求める完全な権利を持つのです。

 そして、あなたのまわりにいる、あなたの魂の状態を霊の眼で見て理解している霊から、あなたは導きを得るでしょう。
 光を与えられるでしょう。彼らには、分かっています。
 たとえば、あなたが本当に正直であるか否かについても。

 また他に、魂が、肉体によって課された障壁を乗り越え、本来のあるべき姿を切望する祈り、すなわち、生命の霊的な力とのより完全な調和を求める祈りもあります。
 これには必ず応答があります。
 なぜならば、その祈りの行為が、霊に本来備わっている力を徐々に発揮させることを可能にするからです。
 祈りは、その内容によって区別する必要があります」

『古代霊シルバーバーチ不滅の真理』トニー・オーツセン編 近藤千雄訳(P151~153)『Silver Birch Companion』Edited by Tony Ortzen(P103、104)


 あなたはなぜ神に祈るのですか、と問われてシルバーバーチは、祈りの本来のあり方について次のように述べた。

 「それは、私に可能なかぎり最も高い概念に波長を合わせたいという願いの表れです。
 私は、祈りとは、向上の手段であり、内省の手段であり、外部へは向上心を向け、内部へは非難の探索の光を照らすことを可能にするものと理解しています。

 本当の祈りは、自分本位な動機から発した要望を嘆願することではありません。
 心の中に抱く思念すべて大霊には知れている、要望すべては表現する前に大霊には分かっていると、私たちは認識しています。

 にもかかわらず、なぜ祈るのか。
 
 それは、祈りとは、私たちのまわりに存在するより高い力に自身を調和させる手段だからです。
 それによって、ほんの少しの間、自身を鎮静させ、精神と霊をより受容力のある状態にできるからです。
 
 短い時間でも自身を静寂にすると、この受容的な状態において、より高い力が、私たちに届くようになります。
 つまり、私たちに本当に必要なものを得る通路を用意したことになるのです。

 自分本位な祈りは、時間と言葉と精神的エネルギーの浪費に過ぎません。
 それらには力がなく、何の効果も生じないからです。
 しかし、自分をよりいっそう役立てたいという真摯な願いから、改めるべき自己の欠点、克服すべき弱点、超えるべき限界を見つめるための祈りであれば、力と励ましと決意を授かり、それだけよくなるものです」
『シルバーバーチの霊訓7』シルビア・バーバネル編 近藤千雄訳(P198、199)『More Wisdom of Silver Birch』Edited by Sylvia Barbanell(P139)



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