どのような世界にいるのか 5

【連帯と団結への攻撃】



ノーム・チョムスキー著『アメリカンドリームの終わり あるいは富と権力を集中させる10の原理』(寺島隆吉・寺島美紀子訳)から、原理5【連帯と団結への攻撃】をみます。

原理5【連帯と団結への攻撃】の要約は、以下の通りです。



支配者にとって、民衆の連帯というものは極めて危険なものである。世界の支配者の観点からすれば、わたしたちはただ自分のことだけを考えていればいいのであり、他人のことを気にかけてはならないのである。

「同情と共感」というの人間の基礎をなる感情を人々の頭から追い出すために多大な努力が払われてきた。

そのひとつの例が、社会保障に対する攻撃である。

国家の政策を議論する際にいつも大きな話題になるのは、社会保障の危機という問題である。

しかし、調べればわかるように、実際はそのような危機は存在していない。社会保障は非常に良好に運営されているので、財政的にはなんの問題もなく、これを運営するのに大きな費用はほとんどかかっていない。

ところが、社会保障の問題になると、いつも議論の中心になるのは、このままだと赤字になる、ということばかりである。なぜなら、社会の所有者・支配者が、社会保障を好まないからである。むしろ、かれらはそれを憎んできた。なぜなら、それは一般大衆の利益になるからである。

また、憎む理由は、社会保障が基づいている原理「連帯と団結」にもある。



連帯というのは、お互いに他者を思いやるということである。社会保障は「わたしは税金を払います。そうすれば街の外れにひとり寂しく住んでいる未亡人でも、その資金でなんとか生きていく手段を手に入れることができますから」という考え方に基礎を置くものだ。

国民の大多数にとっては、それが生き抜いていく手段であるが、富裕層にとって、それはほとんど意味のないことであり、力を合わせてそれを破壊しようと試みる。

そのひとつの方法が、社会保障の予算を削るというやり方である。気に入らない政策を手っ取り早く破壊する方法は、その予算を削ったり廃止したりすることである。そうすればその制度は機能しなくなる。

すると、大衆が腹をたて別の方策を望むようになる。それが、かれらの狙い目・付け目であり、それに乗じてその制度の民営化を提案するのである。

この方法は、世界一般的に見られる政治的手段である。



社会保障のみならず、公教育についても同じような攻撃を見ることができる。それは、ね公教育という制度も連帯の原理に基づいているからである。

1950年代のアメリカは、現在よりもはるかに貧しい社会であった。それでも無料の大衆高等教育を運営することは、いまよりもはるかに容易であった。

いまアメリカ社会は、当時に比してずっと豊かになっているはずなのに、そのような財源はないと主張するのである。



連帯への攻撃は、「65歳以上の老人(および障害者)への公的医療制度」にも見られる。富裕層は、この制度を少しづつ破壊し民営化しようとしてきた。

それは、老人の抵抗反発を避けるための用意周到な計算のもとに行われている。

たとえば、改悪するような制度を導入するときには、ある年齢以上には適用されない、という条項を入れ、その年齢層の利己主義に期待するのである。



これは「日没(サンセット)原理」と呼ばれている。太陽が沈むように、古き良き老人医療制度を享受していた世代が姿を消したころに、次の新しい法案に基づく、新しい世代が登場し、新しい老人医療制度をなんの疑問も持たず喜んで受け入れる、と期待されているのである。



新聞にときおり「政治的に不可能」とか「政治的な支持が得られない」という記事が載るが、その記事が取り上げている問題は、たいてい国民の大多数が長い間、待ち望んでいたものである。オバマ政権が「誰にでも入手可能な医療保険法案」を提案したとき、議論の出発点には国民皆保険という選択肢もあり、それは国民の3分の2によって支持されていた。ところが、途中からそのような選択肢は議論から消えてしまうのである。

国民皆保険という制度は、新聞の言い方を使えば「政治的な支持を得られない」のである。「政治的な支持」とは、ゴールドマンサックス、JPモルガンチェイスなどの金融機関からの支持が得られることを意味する。



現在の経済情勢についておこなわれているアメリカ国内の議論の中で、中心を占めている問題は、圧倒的に財政赤字であって、失業問題ではない。

しかし、失業は社会に深刻な影響をもたらす。それは、人々やその家族にとってたいへん深刻な結果をもたらすと同時に、経済にとっても深刻な影響をもたらす。

その理由ははっきりしており、人々が働いていないということは、経済を発展させることのできる人的資源がありながら、それが使われていない、ということになるからである。

失業というのは、せっかく工場を持っていながら、それを使わないことに決めたののと同じことなのである。

銀行などの金融機関は、失業ではなく財政赤字を攻撃対象とし、政府で働く職員も減らして財政赤字を削れと言う。それを極端にまで推し進めると、政府の機能を削減することにつながる。



本来、民主主義が機能すればするほど、民衆によって決められた民衆の利益になるようなことを遂行するのが政府の仕事になるはずである。



ところが、世界の所有者・支配者にとっては、民衆の干渉なしに自分たちで勝手にすべてを支配することを好むので、政府の機能を削減していく方が、かれらには好ましい。

そして、政府には次の二つの機能だけは残しておきたいと考える。

ひとつは、自分たちが経営危機に陥ったときに、国民の税金を用いて自分たちを救ってくれる機能であり、もうひとつは、強力な軍隊である。それがあれば、世界を支配下に置くことが可能であり、かれらの悪行(企業活動)に抗議する「民衆運動」から自身の身を守ることができるからである。



世界の所有者・支配者たちが真剣に論じるのは、失業問題ではなく財政赤字である。

しかし、一般民衆にとっては、失業こそが重大問題である。

大手メディアは、ほとんど例外なく、議論の主眼を財政赤字に置いている。これは、議会やメディアの議論が裏の支配者によって予め形成されているからなのである。

また、驚くべきことは、財政赤字を問題としながら、その原因について何も議論しないことである。

財政赤字の原因はきわめて明白で、それは桁外れの軍事費に原因がある。

またその軍事費は、国民の安全保障や、国民の命と暮らしを守ることに貢献するものは、ほとんどない。それはただ、世界の支配者だけを守るものである。

だからこそ、軍事費が財政赤字の議論からまったく抜け落ちてしまうのである。

原理5の要約は以上です。







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